営業推進部 山下 晃一、音空間事業本部 平田 昌之
1. はじめに
音作りを行うプロのスタジオは、音の解像度や定位が優先されます。その為、フラッター・エコーや直接音を色づけするような反射音を生じさせる壁面を吸音処理したデッドな音場が主流となっています。しかしデッドな空間での長時間作業は、疲労感が強まります。
一方、音楽を楽しむオーディオマニア・音楽ファンのリスニングルームは、居室の延長となりライブな音場が一般的となります。直接音と一次反射音との干渉によって音色に変化が生じ、音像の定位や解像度が低下するといった事が発生しがちです。
こうした問題に対し、私たちは部屋の壁面を"面"ではなく"柱の群れ"で構成し、強烈な反射音を回避し緻密な響きをもたらす柱状拡散機構『Acoustic Grove System(AGS)』を提案してきました。これは壁面に入射する音波が空間的・時間的に散乱するように径の異なる無数の柱を奥行60cmの空間に多層状にランダム配置したもので、低音域の部屋鳴りを抑制するとともに中高音域の緻密な響きをもたらします。このAGSを用いて都内にある放送局のスタジオを施工したところ現場のユーザから、「カバーエリアが拡大」し、なおかつ「明確な音像定位・解像度」と「心地よい自然な響き・音の拡がり」という従来相反していた要素が両立していること、さらに「長時間聴いていて疲れない」といった予想以上の高い評価をいただきました。
図1 SYLVAN外観
AGSの可能性をさらに追求するため、そのカットモデル(簡易型音響拡散体)を試作しレコーディングスタジオのブース・調整室から楽器練習室、リスニングルームまで様々な用途の現場に持ち込みユーザに試聴していただいたところ、簡易型音響拡散体を僅か1、2本、室内に配置するだけで「音像の奥行感や拡がり感が増す」、「音場のリアリティが向上する」、「音楽を聴くのが楽しくなる」といった評価をいただきました。そこで、音楽演奏や音作りに携わる演奏者、エンジニアから、純粋に音楽を楽しむオーディオマニア・音楽ファンまで、幅広く多くの方々にこの効果を体感していただく目的で製品化したのが今回ご紹介させていただく、新しいルームチューニング材SYLVAN(シルヴァン)です(意匠登録済、特許申請中)。
SYLVANは、横幅約40cm、奥行約20cm、高さ約140cmの形状に、タモ集成材から切削加工した3種類の径の円柱10本を手前から奥に行くにしたがって径が太くなるようにランダム状に配置した構造になっています(図1)。この配置は、入射した音波が理想的に拡散するように音響理論とコンピュータシミュレーションにより綿密に設計され、さらに試作品による聴感評価を繰り返し最適化されたものです。強度が得られ共振が少ないこと、また建築現場で発生した端材の有効利用が可能なことが、材料にタモ集成材を採用した理由です。音響諸室の内装は木材が多用されており、そうした空間との調和も狙いのひとつです。
2. SYLVANの設置事例
2009年4月に発売を開始してからこれまでに、様々な用途の音の現場でSYLVANを使っていただいており、今回、実際の現場での設置例とユーザの評価を中心にご報告します。
2-1. スタジオ調整室における音場改善
調整室(コントロールルーム)はスタジオ等で収録された音のチェックを行い、最終的な作品に仕上げていく場所です。作品の仕上りに直結するため音響空間として極めて高いクオリティが求められています。しかし、室寸法や形状、モニタースピーカ、調整卓による影響、そして居住性と音響性能とのトレードオフ等により、必ずしも常にベストな音場が実現できるとは限りません。
今回、都内放送局内にある調整室のひとつにSYLVANを設置させていただく機会を得ました(図2)。『音作りを行う上で何か問題がある訳でない』ということでしたが、SYLVANにより更に良い音場になると期待されていました。SYLVANを調整室前面の壁面にマウントされているモニタースピーカ両脇に各1本ずつ、そして前面壁面と調整卓の間に2本配置したところ、下記のような改善が見られました。
図2 調整室内に設置されたSYLVAN
- これまで以上に、音像が左右に拡がるとともに前後に奥行感が生まれ、オーケストラの楽器配置がわかりやすくなった
- 低域(ローエンド)が伸びて、コントラバスなどこれまで聞こえにくかった楽器がはっきりと聞き取れるようになった
- 楽器の音離れがよく、音楽が生き生きと聞こえるようになった
- 調整卓前面の空間の影響が気になっていたが、低音域のこもりが緩和され"抜け"がよくなった
- 以前は、ミキサーポイント(実質の音質調整担当者席)とディレクターポイント(総括管理者席)と座る席位置で音質の違いが出ていたが、その部分が解消され、均一になった
上記、スタジオ調整室における種々の音場改善効果を確認することができました。さらに、スタジオに付随するアナウンスブース内にSYLVANを設置したところ、置く位置、音源に対する設置角度でかなり響きが変わることも実感して頂けました。
2-2. ピアノ練習室
ピアノ等楽器を練習したり演奏したりする際に、近所や隣室に対して気兼ねなく演奏できるようにするための遮音対策、防音対策の大切さは言うまでもありませんが、もう一歩進めて楽器演奏を楽しむための演奏室内の音場も重要です。
しかし、ピアノ1台がぎりぎり入るくらいの小さい空間では、ピアノが発する大音量がさらに増幅され演奏者に大きな負担となることや、響きすぎによって音がぼやけることを解消するために壁の吸音面を増やすなど吸音材を多用せざるを得ない場合があります(殆どの練習室がこの仕様です)。しかし、デッドな部屋では音の艶や響きが失われ、演奏をしていて楽しいかというと、そうとは言えません。
図3 ピアノ練習室でのSYLVAN設置例
今回、SYLVANを設置したピアノ練習室は、音響に関して綿密に検討され整えられた音場となっている部屋です(図3)。これまで不満に感じたことはない、ということでしたが、SYLVANを置いたことで下記のような大きな変化があったとのことです。
- デッドな場所で練習していると、響かせようとして、つい鍵盤を強く叩く癖がつきやすいが、SYLVANを置くことで自然な響きが得られ、自然な打鍵ができるようになった
- 特に小さな部屋で練習していると、音が塊となってグシャっとした感じで聞こえるが、SYLVANを置くと一つ一つの音がクリアに聞こえるので、特に初心者の練習環境としては非常によいと思う
2-3. 個人のオーディオ・リスニングルーム(1)
都内近郊の閑静な住宅地にあるY様邸のオーディオ・リスニングルーム(図4)は地下室にあります。夜間に音楽を聴かれることが多く、低音の迫力あるサウンドを気兼ねなく楽しみたいというご要望から、深夜でも上階の居室への音漏れを最小限とするため、完全浮構造(ボックス・イン・ボックス)とし、防振性能とスピーカから大音量で発せられる低音を考慮してコンクリート浮床構造とするなど、音楽を大音量で再生できるようになっています。しかし、たとえ大音量でも楽しく聴けなければ意味がありません。そのため、実際に音楽を聴きながら壁面内側に設けられた吸音層内部の吸音材(サウンドトラップ)量を加減・反射板の角度を可変させるなどの音響調整が行われてきました。
現時点でこれといった不満の無い部屋とのことでしたが、SYLVANを正面スピーカの背後や両脇に設置したところ、
- 音像の拡がり感、奥行感が増大した
- 演奏者が、恰もそこで演奏をしている様で、更に立ち位置迄もがイメージが出来る様になった
- 楽音のリアリティ感が向上した
といった変化が良く分かったとの評価をいただきました。
図4 Y邸オーディオ・リスニングルームSYLVAN設置例
2-4. 個人のオーディオ・リスニングルーム(2)
都内にあるS様邸のオーディオ・リスニングルームは10畳の空間に、ハイエンドのピュア・オーディオのシステムとホームシアター・システムが設置されています(図5)。さらに、壁面と天井には市販のルームチューニング材が配置され、オーディオだけでなく、音場空間の調整にも気を遣っておられます。しかし、市販のルームチューニング材を増やしすぎると空間の拡がり感は増すものの、響きがやや不自然になり、音楽ソース(ほとんどがクラシック音楽)によっては聴きにくくなるため、自然な響きに近い音場を望まれていました。
図5 S邸オーディオ・リスニングルームSYLVAN設置例
SYLVAN2本を左右スピーカの両脇壁面に配置したところ、実際にコンサートホールで聴くような響きに近づき、これまで聞きづらかった音楽ソースも楽しく聞くことができるようになったそうです。下記のような具体的コメントをいただきました。
- 響きが自然になり、クラシックホールの雰囲気が再現できるようになった
- これまでは"サ行"の音が耳につき、その帯域が目立つ楽曲が非常に聴きづらかったが、そうしたキツさが取れ、長時間聴いていても疲れなくなった
- 何よりも今まで以上に音楽を聴くのが楽しくなり楽曲に没入できるようになった
- 音楽を聴く上で一番大事なものが再現できているように感じる
2-5. オーディオ・ショウルーム
オーディオ・ショウルームは、オーディオを購入しようとしている方が、候補対象機器が再生する音楽を聴き比べ、価格に見合ったクオリティかどうかを真剣に判断する場所と言えます。オーディオ・ショップサイドも、そうした場所にふさわしい音場を提供するため、細心の注意を払って音場調整を行っています。オーディオ機器の比較試聴の経験がない人からすると、機器間の差を聴き分けるためにはデッドな音場の方がよいと思うかもしれませんが、オーディオマニアの方々は一般的に、機器間の差だけでなく、自宅オーディオ機器の再生クオリティを基準として、それとの差を重視していますので、デッドすぎず、ライブすぎず、適度な響きがあり、かつ、音源ソースが持つ本来の解像度、定位情報をはっきりと再現できる空間が求められます。
今回、SYLVANを設置させていただいたのは、英国製ハイエンド・オーディオ装置を中心に販売していることで有名な、銀座にあるオーディオ・ショウルームです。音場だけでなく、部屋のデザイン、配色が素晴らしいことでも定評があります(図6)。SYLVANの設置位置で多様な音場を実現できるようになったとのことです。
- 音場のクオリティが向上する
- SYLVANの設置の仕方(場所等)によって、音像の拡がり、奥行感、フォーカスを調整することが可能となる
図6 オーディオ・ショウルームでのSYLVAN設置例
2-6. JAZZ CAFE&BAR
東京日本橋茅場町にあるJAZZ CAFE&BARは、JAZZを楽しみながら飲み物や食事を楽しむために、JAZZ&Audio好きのマスターが昨年オープンしたお店で、真空管アンプとハイエンドで有名なドイツ製のホーン型スピーカの音を聴けるということで、全国からオーディオファンが訪れる場所になっています。
今回、それまで使っていた市販のルームチューニング材とSYLVANを入れ替えたのですが、マスターだけでなく、このCAFE&BARのお客さんからも様々なご意見をいただきました。
- アナログレコードの針を落とした瞬間に、音の違いに愕然とした。次元の違う音響空間に進化したようだ
- 元々ホーン型スピーカなのでサックスやトランペットの音が座席の耳もとまで飛び出してくるような臨場感があったが、SYLVANを置くと、管楽器のそうした良さはそのままに、ピアノのタッチは艶やかに、ベース・ドラムのリズム感は際立つようになり、音楽を聴く楽しみが増大した
- 大きな音を出していると耳が痛いと感じることがあったが、それがまったく無くなり、うるさいと思うことがなくなった
図7 JAZZ CAFE&BARでのSYLVAN設置例
3. SYLVANの物理特性
SYLVANを様々な用途の実際の現場で評価していただきましたが、それを通して僅か1、2本のSYLVANを室内に配置することで、音場が大きく変化する、ということでは一致した評価をいただいています。特に多い評価をまとめると以下のようになります。
- アコースティック楽器の音色が自然に聞こえるようになる
- ぼやけていた低音域の見通しがよくなり、音楽のバランスがよくなる
- 楽器の音離れが良くなり、リズムが生き生きとしてくる
- 高音域の耳につく金属的な響きが解消し、ヴォーカルの息遣いや弦楽器演奏者の弦を弾く音のリアル感が向上した
- ボリュームを上げて聞いても耳が痛くならない
- ついつい長時間聴いていたくなる
- 配置の仕方によって左右の拡がり、前後の奥行、楽器の定位などを調整できる
- 慣れ親しんだ音源が、まるで別物になり、機材をバージョンUPさせた時の様な錯覚を覚える
SYLVAN1本の大きさや面積は、部屋を囲む壁面全体の面積に比べればごく僅かですが、それがなぜ、これまでに述べてきたような効果を生むのか、開発した私たちにとってもまだまだ未知のことが多く、その物理特性把握のための実験も継続して行っているところです。
今後は物理測定と併せて試聴実験を通じた主観評価等の検討も行い、ユーザの立場にたった音響設計手法に反映させていきたいと思っています。
図8 SYLVAN設置例
図9 SYLVAN設置例
4. おわりに
今回ご紹介させていただいSYLVANは、本社試聴室(両国)及び音響研究所内に新設した新試聴室(千葉)でいつでもご試聴いただけます(予約制)。SYLVANがもたらす音場を多くの方々にご体感いただきたいと思っています。