システム事業部 森尾 謙一
1. はじめに
多くの飛行場周辺では、航空機騒音から住民の生活環境を保全するために現状把握や監視を目的とした騒音測定が広く行われていますが、測定が長期間にわたる場合は自動測定器を用いた無人測定が行われています。
航空機騒音測定においては一般的に、卓越した大きな騒音が観測された場合、当該騒音が航空機騒音であるか否かを識別する必要があります。
対象騒音が暗騒音に対して大きく卓越し、かつ、それ以外に大きな騒音を発するものが少ない現場では自動識別は容易ですが、対象騒音とそれ以外の騒音が重なって観測され対象以外の騒音の寄与が大きい、いわゆる"かぶり音"が多く観測される現場では自動識別は難しく、自動測定といえども最終的には人の判断を要しています。
そうした現場での自動測定では、卓越騒音を録音し、それを分析員が逐一聴取して確認する方法(実音聴取)などが行われていますが、騒音評価値に対するかぶり音の寄与が大きい場所では、ほとんどすべてのデータについて実音を聴取する場合もあるなど、多大な労力を要し、分析員の負担が大きいことが課題となっています。
こうした課題に対して、私たちは統計解析を用いた音源識別方法(特許出願中)を考案し様々な現場で活用しています。この方法の特徴は、測定された騒音に対してそれが航空機騒音であるか否かを予測確率値で表現することにあります。例えば航空機騒音ではない騒音データの確率値は0%に近い小さな値として、明らかに航空機騒音であるものについては100%に近い大きな値として出力されます。このため、分析員は各データの確率値から識別結果が明らかなものについては実音聴取の手間を省くことができ、データの信頼性を損なうことなく分析に要する労力や負担を大幅に削減できると考えられます。
ここでは、実測データを基にした具体例についてご説明します。
2. 従来の騒音識別方法と統計解析手法を用いた航空機騒音識別方法の違い
従来の音源識別の作業は、現場を熟知した経験豊富な分析員が、騒音レベル波形(騒音レベル時間変動の形状)と最大騒音レベル値から、明らかに騒音源を同定できるもの(例えば防災無線放送、チャイム、カラスなど)については瞬時に分析対象から除外し、そうした情報からだけでは判断が難しいデータについては、同時に観測されたその他の情報、例えば気象データ、騒音到来方向、周波数特性、移動音源であるか否か、航空機の発する電波情報なども加味して判断し、それでも判断できないものについては、最終手段として実音聴取を行い判断しています。そのため従来の方法は、分析員の技術や経験を要するだけでなく、データ量が多い場合には分析員への負担も多くなり、見落としや誤判定も生じやすくなるといった問題点があります。
一方、統計解析手法を用いた航空機騒音識別方法では事前情報(予め測定された騒音データと音源識別結果)を用いて、統計解析による最適化処理を行い、予測モデル式を作成しておきます。この予測モデル式が熟練した分析員の技術や経験に相当することになります。予測モデル式が作成できれば、以降、測定データを予測モデル式に入力することで航空機騒音である確率が得られます(図1)。
図1 統計解析手法を用いた予測モデル
事前情報には、騒音レベル波形、最大騒音レベル、航空機の電波情報、周波数特性、音源の到来方向、音源の角速度、音源の仰角など、実際の自動測定で計測するデータを用いることができますが、測定地点によっては必ずしもこれらすべてのデータが得られない場合もありますし、用いるデータ種類の数に制限はなく、極端な例では騒音計の値(最大騒音レベルや時間レベル変動値)のみからでも予測確率の算出が可能です。
このほかにも統計解析手法を用いた航空機騒音識別方法には以下に示すような利点があります。
- 識別結果の尤もらしさ(確率)を出力するため、実音聴取を行うケースを取捨選択でき、識別作業の負担を大幅に軽減できる(手間や負担のかかる実音聴取を行うデータの候補を絞ることができる)。
- 統計的に最適なモデル式を作成するため、分析員の主観によらない結果が得られる(分析員の熟練度によらず、誰が分析しても同じ結果が得られる)。
- 事前情報量(測定データの種類やセンサの種類、測定期間の長さ)を増すことにより識別精度が向上する。さらに気象条件、季節情報、時間帯、測定場所の立地条件なども入力することにより、予測確率の精度を向上できる。
- 音源到来方向や航空機の電波情報等を受信する航空機騒音識別センサや装置が故障した場合、従来の方法ではすべて実音を聴取して分析員が逐一識別するか、実音を記録していない場合は欠測とせざるをえなかったが、故障したセンサ以外の測定データから予測モデル式を作成しておくことで航空機騒音識別が可能となる。
- 学習機能の実装が可能であり、分析員が実音聴取等により確認した結果を随時追加することで、予測精度を継続的に向上させられる。
このように、統計解析手法を用いた航空機騒音識別方法は事前情報を必要とするものの、多くの利点があります。
3. 統計解析を用いた航空機騒音識別の実施例1―民間飛行場周辺での音源識別―
東京湾を挟んで羽田空港対岸に位置する地点での測定データを基に、統計解析手法を用いた航空機騒音識別の精度について検討しました。
この測定地点は、航空機騒音以外にもカラス、自動車、防災無線、機械作業音、小鳥など数多くの音が観測されるため、航空機の識別が非常に難しい地点です。また暗騒音は40~50dB程度です。
測定地点周辺は、離陸機が高度5,000~10,000フィートで上空を通過し、着陸機は陸から離れた海上を通過しています。
本実施例では、本測定に先立ち7日間のデータ(航空機騒音336回、その他の卓越音1,421回を観測)から予測モデル式を作成し、本測定7日間(予測モデル作成の7日間とは別の7日間)のデータ(航空機騒音349回、その他の卓越音1,039回を観測)については、従来の実音聴取法によるデータ解析を行うと同時に、事前に作成しておいた予測モデル式に入力して航空機騒音であるか否かの予測確率を算出し、両者を比較することで統計解析手法を用いた航空機騒音識別の精度について検証を行いました。
予測モデル式の作成には、騒音レベル波形(1秒間LAeqの時系列データ)、最大騒音レベル、航空機の電波受信の有無、音源上空率(音源が上空にある割合)、音源のピーク周波数、周波数帯域の特徴量の各データを用い、ロジスティック回帰分析によりモデル式を作成しました。
また本識別方法では、測定データの種類(予測因子)を増やすことで識別精度が向上し、実音聴取の労力も削減されます。精度の向上を確認するため、図2に示す5つのモデル式を作成しました。
図2 統計解析手法を用いた予測モデル
時刻 | 騒音値 | 継続時間 | 予測確立 | 音源 |
10:20:56 | 52.4 | 8 | 0.0 | 作業音 |
10:24:00 | 67.0 | 53 | 74.9 | 航空機 |
10:29:33 | 60.7 | 45 | 36.0 | 物音 |
10:29:49 | 61.6 | 8 | 10.1 | 作業音 |
10:53:31 | 64.0 | 20 | 88.5 | 航空機 |
11:01:38 | 67.0 | 34 | 78.5 | 航空機 |
11:21:38 | 69.2 | 47 | 86.3 | 航空機 |
11:25:05 | 63.4 | 34 | 94.7 | 航空機 |
11:31:26 | 61.6 | 18 | 92.0 | 航空機 |
11:43:18 | 60.2 | 32 | 55.8 | 航空機 |
11:53:34 | 65.9 | 56 | 90.6 | 航空機 |
12:00:26 | 89.0 | 33 | 1.5 | 防災無線 |
12:03:05 | 64.6 | 79 | 91.2 | 航空機 |
12:09:37 | 51.1 | 9 | 0.1 | 小鳥 |
12:16:44 | 49.1 | 8 | 0.2 | 小鳥 |
12:19:14 | 63.5 | 76 | 96.8 | 航空機 |
12:22:09 | 52.4 | 33 | 0.3 | 小鳥 |
*騒音値はdB、継続時間は秒、確率は百分率で表記。音源は分析員の実音聴取結果による
作成した5つのモデル式のうち、Aの騒音計から得られるデータのみを用いた予測モデル式による識別結果を表1に示しています。
分析員による実音聴取の結果、明らかに航空機騒音であるとわかるデータについては確率値が高く、明らかに航空機でないとわかるデータについては確率値が小さくなり、航空機であるか否かの判断がつき難いデータについては確率値が40%~60%程度になりました。また、データの中には騒音値(最大騒音レベル)や騒音継続時間がほぼ同じ程度で、これらの情報からだけでは識別が困難なデータについても確率値を参照することによって精度のよい識別ができることがわかります。
ここでは便宜的に、予測確率65%以上を航空機騒音、35%未満をその他の音と識別し、35%~65%については、人の判断が必要ということとし,実音聴取を行います(図3)。
図3 確率値で絞り込まれた実音聴取データの例
つまり、表1の10:29:33(予測確率36.0%)と11:43:18(同55.8%)のデータについては実音聴取を行い、他のデータについては算出された確率値に基づき自動的に識別するということになります。
7日間全体の識別集計結果について音源識別の正答率、WECPNLの実測値との差をまとめたものを表2に示します。「自動識別のみによる結果」における正答率は、確率値が35%~65%であるデータを除いて算出しています。
自動識別のみによる結果 | 自動識別の結果に 一部実音聴取した結果 |
||
正答率 | 実測値との差 | 正答率 | 実測値との差 |
91.7% | 0.711 | 92.4% | 0.478 |
*実測値との差の単位はWECPNL
表2より、騒音レベルのみを用いた自動識別であっても、90%以上の正答率を示し、WECPNLの実測値との差も0.7程度です。また、確率値が35%~65%の間にあるデータ(全体の8.2%)に関して、実音聴取を行うと実測値との差はさらに小さくなり、0.5以下となります。
このように、本方法を用いることで、特別な識別装置を使用しなくても、あるいは、自動測定において識別装置が故障し、従来であれば欠測とせざるを得なかったような場合でも、比較的高い識別精度が見込めることを示しています。
なお、騒音レベルのみを用いた分析で誤って識別されていたのは、継続時間の大部分が航空機騒音であるが最大値が観測される前後で鳥の音などが同時に観測され人が聴取しても判断が難しいものや、風雑音の波形が航空機騒音の波形と類似している場合でした。
そこで、識別精度を向上させ、かつ、分析員の労力を減少させるため、騒音レベル以外のデータを予測モデル式に順次付加しました。図4は予測モデル式に加えるデータの種類(予測因子)を増やすことによる、識別結果の正答率の変化を示しています。図5はWECPNLの実測値との差の変化を、図6は識別結果が35%~65%になる割合を示しています。
図4 識別結果の正答率
図5 実測値と推定値との差
図6 実音聴取を行う割合
図4から、モデル式作成に用いる情報を増やすことで、正答率が上昇する傾向がみられます。さらに、図5に示すように、WECPNLの実測値と予測値の差が小さくなっています。特に、D、Eに示される4種類以上のデータを用いたモデル式から算出した予測値においては、実測値との差は0.1未満であり、精度向上が顕著です。図6から、実音聴取を行うケースが全体に占める割合は、予測因子を増やすごとに減少し、Eの予測モデル式を用いた場合、実音聴取は全体の1.2%程度となります。多くの情報を与えることで高精度かつ省労力が実現されることがわかります。
様々な音が観測され航空機の識別が困難な地点においても統計解析を用いた航空機騒音識別方法が有効であること、また、予測モデル式作成に用いる情報量をさらに増加させることで、より高精度で労力の少ない識別が可能となることがご理解いただけたかと思います。
4. 統計解析を用いた航空機騒音識別の実施例2―軍用飛行場周辺での音源識別―
軍用飛行場周辺は民間飛行場周辺と異なり、軍用機の運航が不定期で、また運航実績データが得られないため、一般的に自動測定における騒音識別は民間飛行場周辺に比べ難しい場合が多いのですが、そうした軍用飛行場周辺においても統計解析手法は有効です。
ここでは某軍用飛行場周辺の測定点において行った統計解析手法の精度検証についてご説明します。この地点は滑走路延長線上に位置し、航空機が低空を飛行するため航空機騒音が卓越する地点ですが、同時に近傍の道路を往来する自動車の騒音も頻繁に観測されるため騒音識別が重要となっている地点です。なお暗騒音は50~60dB程度です。
今回、187日間のデータ(航空機騒音4,677回、その他の卓越音780回を観測)から予測モデル式を作成し、それとは別の179日間のデータ(航空機騒音4,191回、その他の卓越音906回を観測)を予測モデル式に入力し、予測確率を算出するとともに、実音聴取結果と比較し、その識別精度について検証を行いました。なお、予測モデル式の作成には、騒音レベル波形、最大騒音レベル、航空機の電波受信の有無を用いています。
表3に示すように騒音レベル時間変動波形、最大騒音レベルのデータを用いただけでも、95%程度の識別精度が得られました。WECPNLの実測値との差も0.2未満と非常に精度の高い結果が得られています。
これに、航空機の電波受信の有無の情報を付加すると、識別率が98%以上に向上し、WECPNLの実測値との差についても0.02未満となり、一部のデータについて実音聴取(全体の4.6%)を行えば全データ実音聴取した場合とWECPNLの値がほとんど変わらない結果となっています。
このように軍用飛行場周辺においても統計解析手法を用いた航空機騒音識別方法が非常に有効であることがわかります。
自動識別の結果 | 一部実音聴取した結果 | |||
正答率 | 実測値との差 | 正答率 | 実測値との差 | |
騒音レベル 情報のみ |
94.5% | 0.183 | 95.1% | 0.177 |
航空機電波 情報を追加 |
98.6% | 0.019 | 98.7% | 0.001 |
*実測値との差の単位はWECPNL
5. おわりに
民間飛行場及び軍用飛行場周辺の両方において、統計解析を用いた航空機騒音識別方法の有用性についてご説明しました。自動測定と統計解析処理手法を組み合わせることで、識別精度を十分に保ったまま、人手による識別の手間を大幅に削減することが可能となります。
今回は、手間のかかる実音聴取を行うか否かを予測確率値のみで判断しましたが、実用上は、騒音レベルが大きい騒音、あるいは夜間に発生した騒音などの騒音評価値への寄与が大きい騒音ついて重点的に実音聴取を行えばさらに効率化を図ることができます。つまり、予測確率値と騒音評価値への寄与度を考慮する手法(弊社特許)とを併用すれば、騒音評価量の予測精度を維持したまま実音聴取の割合をさらに減少させることができます。
今回ご紹介しました統計解析手法を用いた航空機騒音識別方法は原理上、航空機騒音以外の卓越騒音の評価にも適用できるため、道路交通騒音、鉄道騒音の自動測定においても有効であると考えられます。今後、各分野への応用についても展開していきたいと考えています。