─ 音響技術とともに ─
日本音響エンジニアリングヒストリー

半世紀の歴史が育んだ革新の系譜。

日本における建築音響のパイオニアとして、50年に及ぶ歴史を築いてきた日本音響エンジニアリング。
「音」に対する徹底したこだわりと情熱、他の追随を許さない実績と技術力、これは、いかにして生まれたのか。
そして、社長や専務を歴任しながら生粋のエンジニアとして会社の礎を築いた茂田敏昭の思いとは。
現社長の山梨忠志とシニアエンジニアの崎山安洋が、会社の歴史を振り返りながらその強みの源泉に迫った。

(左)現社長 山梨 (右)シニアエンジニア 崎山 

音響工事の設計と責任施工で、
お客さまの理想の音空間を追求

日本音響エンジニアリングの源流を辿ると、初代社長である茂田敏昭が設立した個人設計事務所に行き着く。
茂田は1960年に朝日放送のラジオ・テレビスタジオ建築に参画したのを皮切りに東京12チャンネル(現在のテレビ東京)、フジテレビ河田町スタジオ、さらにアルファレコードスタジオ、クラウンレコードスタジオ、パイオニア目黒スタジオなど、数々のスタジオを手がける。
そして1972年、株式会社ニチオンを設立する。これが日本音響エンジニアリングの始まりである。2022年3月でちょうど50年となる。

「私が入社したのは1979年、録音方式がアナログからデジタルへと移行しつつあった頃です。株式会社ニチオンは、設立2年後の1974年に日東紡績株式会社と合併。茂田は専務として経営に携わりながら、音響技術者として建築音響に並々ならぬ情熱を注いでいました」と語るのは、現在の社長である山梨忠志。茂田に多大なる薫陶を受けた一人だ。そのこだわりとはどのようなものだったのだろうか。山梨が続ける。
「当時から弊社は、音響工事の設計と責任施工が売りでした。今でこそ責任施工をうたう会社は多いですが、弊社が先駆けではなかったでしょうか。その責任施工を提唱していたのがチーフ(社長とは呼ばせなかった)である茂田。よく言っていたのは、俺たちは『音の仕立屋』なんだと。自分たちの考えた音をゴリ押ししてはならない。お客様の求める音に仕立てるのが自分たちの役割。そのためには、内装を壊してでも音をつくり直すという徹底ぶりでした」。

1980年代設置の音響実験室
音声車は米国製"APIアナログコンソール"

一方、エンジニアとして長年現場で共に汗を流した崎山安洋は、知識と技術に対する貪欲な姿勢に言及する。
「音響に関する大学の先生と広く交友を持っていました。わからないことはすぐに先生に相談する。『なぜ、こんな音がするのだろう?』という問いを常に抱え、その答えを模索し続けるわけです。大学の先生も理論はお判りでも、建築としてどう具現化すれば良いかはお判りにならない。相互に補完し合いながら、無響室などの研究施設などが出来ていった。毎日が試行錯誤の連続です。正解がわからない時代にスタジオから実験室までひたすらいい音響を追求する姿勢。それが社員全員に広がっていった」と往時を懐かしむ。

お客さまの課題に真摯に耳を傾け、
次々と革新的な製品を開発

現在のように機材や先進的なシステムに恵まれている時代ではない。「ないものは自分たちでつくる」(崎山)というのも茂田イズムの真骨頂だった。
「いい音というのは、様々な要素が複雑に絡み合って出来るものです。スタジオの設計施工は非常に重要ですが、それだけではままなりません。用途に応じた適切な音の響きをつくる音響設計や高品質のスピーカー、音を正しく計測するための施設や測定器も必要になってくる。そうした『いい音がする空間づくり』に必要な様々なものを自分たちでつくってしまう」と崎山。異能の技術者集団の噂はたちまち業界内に響きわたり、様々な相談が舞い込んでくるようになった。そうして自社開発した代表的な製品のひとつがNESモニタースピーカーシステムだ。

「NESモニタースピーカーシステムは、気に入ったモニタースピーカーがないから、スタジオと一緒につくってよと相談を受けたのがきっかけでした。1993年のことです。以来、様々な放送局、スタジオ、企業、大学、研究室などに採用されています。音が素晴らしいと各方面から絶賛されている歌番組でも使われています」と山梨。音の仕立屋として、お客様の声に真摯に耳を傾ける。お客様が抱える課題こそ、イノベーションの第一歩となるのだ。
他にも「ノイズをリアルタイムに可視化したい」という要望から全方位音源探査システム『ノイズビジョン』が生まれた。球形状に複数のマイクとカメラが配置され、全方向の写真画像上に音の強弱がカラー表示される。

開発当初のマイクロホン移動装置(1980年代)

「ノイズビジョンは自動車メーカーなどに採用いただいています。自動車の室内には、様々なノイズがあるわけです。車が風を切る音やエンジン音、シャシーの軋みなど、微小な音を可視化することで騒音源を特定、対策改善につなげて快適な車室内空間をつくる。自動車のキャビンなどの狭小空間に持ち込めるコンパクト設計もノイズビジョンのポイントの一つ。このシステムをスタジオ音場に応用すると、複数個のサラウンドスピーカーの直接音以外に、その音がどの壁や天井で反射しているかも簡単に可視化でき、反射音対策が可能となる。それによりサラウンド環境の適正化が可能となるなど、さらにフィールドが広がっています」(崎山)。この技術は、よりコンパクトな『SoundGraphy』に引き継がれている。

騒音対策を通じて
社会貢献やダイバーシティの可能性を実感

騒音対策は、現在の日本音響エンジニアリングが特に注力するフィールドの一つだ。
この分野でも手のひらサイズの音響カメラ『SoundGraphy』などの革新的な製品を生み出している。

長距離伝搬フィールド実験の様子(1980年代)

「SoundGraphyは軽量コンパクトで電源や配線が不要。タブレットで簡単に操作できるので、手に持って歩きながら音の発生源調査ができます。工場などの騒音対策に活用されています」と語る山梨。さらに、社会貢献へと思いを寄せる。
「私たちは長い歴史の中で、いい音を実現するための空間づくりを追求してきました。今後も大切なメインストリームですが、これからは今まで培ってきた技術力を騒音などの社会課題の解決につなげていきたい。SDGsの観点でも有意義なことだと考えています。また、プロのための音響空間だけでなく、一般の生活空間やビジネスシーンを見据えた新たな製品開発にも注力しています」
その代表的なものがAGS(Acoustic Grove System)といえる。森の中における音の抜けの良さをヒントに、森の木立から着想を得た全く新しいルームチューニング機構だ。
「長年スタジオは壁との戦いでした。壁があるから音を外に逃さないが、壁があるから音が反射してしまう。AGSはこのパラドックスに挑戦したわけです。いわゆる"部屋鳴り"を抑制して抜けの良い音場を実現します。実はある放送局のフラッグシップスタジオのコンペで満票を得て採用されたもの。以来、多くのスタジオで採用され、現在では一般の方々のホームシアターやオーディオルームなどにも活用されています」と崎山。さらに、AGSと吸音材を組み合わせて自由に音環境をデザインできる音響調整家具という画期的な製品も世に送り出している。
「簡単に設置できるので内装工事も不要、デザイン性と音響性能を両立した新しい音響調整家具『Meleon(メレオン)』です。余計な反射音を低減させて会話を聞き取りやすくします。企業の会議室やレストラン、ホテルのラウンジ、図書館や公民館といった公共空間など、実に多彩なスペースで採用されています。これは女性社員が企画したもので、デザイン性とAGSを組み合わせるという発想、吸音材に施したレザー調やファブリックのデザイン性など、女性ならではの着想に驚いています」と、山梨はダイバーシティ&インクルージョンの進展と成果を実感している。

音に対する情熱とこだわり、「ないものはつくる」という独創性。茂田の撒いた種は、音楽業界の中で大輪の花を咲かせてきた。そして今、そのDNAは音楽業界の枠を超え、様々なフィールドで結実している。「次はアジア市場、そして音楽が文化として根付いているヨーロッパで認められたい」と、力を込める山梨。日本音響エンジニアリングの新たな挑戦が始まっている。