音空間事業本部 堀井 理恵、葛西 信輔、酒井 基行
1. はじめに
2008年5月吉日、JR山手線新大久保駅から徒歩1分、またはJR中央線大久保駅から徒歩3分の地にサウンドチーム・ドンファン様(以下敬称略)の新スタジオがオープンしました。その名も"Studio Don Juan(スタジオ・ドンファン)"。新大久保という地域の特徴でもありますが、まるで海外の街をいっぺんに詰め込んでしまったような、不思議な空気を感じさせる街です。この街のメインストリート大久保通りは、飛び交う言葉、匂い、人々の日常生活が創り出す街のたたずまいに国際色が見え隠れし、異文化が感じとれます。いつも人通りが多く、実にさまざまな街の音色が聴こえてきます。
この通りから一歩入ると、すぐに目を引くスタジオのエントランスが現れます(写真1)。ここが"Studio Don Juan"。マンション1・2階テナントフロアの1階がスタジオ、2階が小規模のプリプロルームおよびオフィスとなっています。ご覧のように、お洒落なバーやカフェを思わせる外観のため、気になりながらこの前を歩いている方も多いのではないでしょうか。コンセプトカラーである『ドンファンレッド』を各所に取り入れた、新感覚アフレコスタジオをご紹介いたします。
写真1 エントランス外観(夜景)
2. 物件探し
この建屋に決定するまで、2007年11月頃から何ヶ所もの物件探しに、代表の山田様とマネージャーの池田様に同行させていただきました。周囲の騒音、建物の構造などあらゆるポイントを調査し、事前に環境測定を実施することで、新しいスタジオ計画にふさわしい物件に絞り込めました。
スタジオ計画段階では、候補物件の特徴を把握することが非常に重要なポイントです。遮音計画の点から、躯体構造や床の積載荷重、上下階や隣戸の環境、都心部ですと鉄道や地下鉄などとの位置関係も振動伝搬の点から重要です。また、キュービクルの電源容量、給排水設備の有無などの現状把握も大事です。
新大久保は、中央線沿線に特に多いアニメーションスタジオやプロダクションからも近い距離に位置し、候補物件は駅からのアクセスが良く、立地条件は特に有利でした。築4年という新しい建物は1、2階が飲食店、3階以上が住居になっていました。遮音に有利な鉄筋コンクリート造であり、スタジオに欠かせない電源容量も十分に確保できる・・・などの諸条件から物件選定の最終決定がなされました。密集度の高い商業地域にある複合ビルとしては、緑豊かな、ゆとりある空間設計がなされており、完成への期待が高まっていきました。
こうして2008年1月、録音編集システムを(株)トライテック様、スタジオを弊社、スタジオ以外の一般内装を(有)アイビー・スペース様と役割分担も決まり、新スタジオ実現に向けてのプロジェクトがスタートしたのです。
3. アフレコスタジオ
サウンドチーム・ドンファンは、アニメを主とする、音響技術、演出の集団です。アフレコとは、文字通り、映像に合せて台詞を吹込んでいく作業。近年、映画の吹き替え・アニメのアフレコなどで、声優さんではなく、俳優さんなどの役者さんがキャスティングされることも少なくありません。老若男女、その数も多いときでは20人の役者さんが一斉にスタジオに入り、録音にのぞむというシーンも数多くあるとのことです。これまでの豊富なご経験から、"スタジオで何が大事なのか"、"何が必要とされるのか"、"役者さんに気持ち良く仕事をしてもらうにはどのような配慮が必要か"を独自の視点で常日頃から解析しておられました。その結果を、新スタジオに盛込みたいとの要望があります。度重なる打合せの中で、伝わってくる情熱、機器レイアウト検討用の精巧な模型等、我々にもその意気込みがヒシヒシと感じられました。計画実現のために、基本計画創りと並行し、現行スタジオや他のスタジオの現地調査を重ね、目指されているもの、求められているものを理解し、具現化すべく計画を進めました。
4. 設計段階でのこだわり
設計打合せでは、いつも『なるほど!』と思うことばかりで、アフレコ現場で想定される様々な問題点を提起してこられました。アフレコ現場にいない我々には予測できない事も多いのですが、検討課題を頂きながら、一層、スタジオ造りに対する熱い想いとこだわりが毎回毎回伝わってきました。
広々として使いやすいトイレ
基本フロアープランは、我々日本音響で行いました。特にトイレの空間設計は非常に重要です。給排水設備が使用可能なビルで計画する以外は、トイレやパントリーなどの水廻りスペースの確保と配置は、想像以上に悩まされます。
サウンドチーム・ドンファンの役者さんへの配慮の一つに、トイレの計画がありました。早い段階から、トイレは出来るだけ広く、使い勝手を十分配慮した全体レイアウトを要望されておりました。その結果、図1のような平面計画となり、スタジオとほぼ同じぐらいの広さを確保しています。女子トイレにはパウダールームもありますので、役者さんには非常に好評だと伺っています。
図1 1階全体平面図
図2 2階全体平面図
Studio全体が見渡せる大きな窓
横幅2100~3500mm、高さ1000~1200mmの大きな窓は、Control Roomから十分にStudioにいる役者さんの細かな表情まで眺めることができます。これが非常に重要な要素になります。
写真2 Studio (Control Roomを望む)
写真3 Studio (Control Roomの対面)
役者さんの椅子の考え方
弊社での打合せにお出で頂いた際、強く要望を頂いたのは、スタジオ内の椅子の仕様です。座面の高さは、役者さんが立ち上がる際に体に負担がかからないような高さと硬さにすること、素材は立ったり座ったりした時にこすれても音が鳴らない、ファブリック系の生地とすること(レザーは特にキュッキュッと鳴ってしまうのでNGでした)、奥行きも深々と座ることはなく、背もたれも不要。腰の高さで飲物やバッグ等を置けるカウンターを造り、背の当たる部分にはパッドを取付けることになりました(写真4)。この素材も現物サンプルを用意し、実際に試していただきました。
廊下~Studioスリット窓
Studio内部を廊下側からスリット窓越しに覗くことができるようになっています。これはマネージャーさんが中にいる役者さんの様子や場面展開をさりげなく確認するための窓です。写真3の左側の壁のスリットはダミーで、サイズとしては同じです。内側に照明を設けることで、Studio特有の閉塞感をなくし、あたかも外部から日が射しているような効果を狙い、意匠的にもインパクトを与えています。
Control Room 床レベル
Control Roomは、覗き窓に面した最前列にクライアント席、中央にエンジニア席、最後列にもクライアント席とし、床レベルはそれぞれ前から段々に上がっています。
どのレベルでもStudio内の様子を把握しやすい視線高さとなる設計にしています。
図3 断面図
仕上配色
StudioControl Roomは、2chメインモニターmusikelectronic RL901Kに施したこだわりの赤色を基調として、床・壁・天井仕上げの配色を決めていきました。一方、Studioは、大人な雰囲気、おしゃれなホテルのロビーのような雰囲気・・・などのキーワードから、配色をご提案させていただきました。仕上げの素材選びもじっくりと行いました。
写真4 Studio 腰カウンター
5. 施工的なこだわり
遮音補強
建物内部には太い排水管があり、上階住居からの生活排水音が聞こえます。また、Studio構築予定の区画にある排煙窓からは表通りにある遊技店の大騒音、通りを進む何かのパレードによる大音量の音楽等が否応なく飛び込んできます。更に、2階の床スラブには1階から2階へ内部階段を増設する際、後から開口可能なALC版の床で構成されていました。これら遮音の弱い部位に対して、遮音補強を施すことが最初の課題でした。
調査の結果、排水管・竪管が、計画した浮遮音層の内側を通り、浮床を貫通する位置にありました(写真5)。固定遮音層で囲うことができればベストですが、そのスペースもありません。配管にロックウールを巻いた上に亜鉛引き鉄板を管の形に合わせて何層にも巻き付けました。特に排水音が発生しやすいエルボ部分にはロックウール+鉛板巻き、最後に管全体を鉛合板で囲うという遮音補強処理を施しました。
Control Roomにおいては、ガス管+バルブまでもが露出していたため、やむを得ず浮遮音層を手前に移動、吸音層を薄くし、浮遮音壁、仕上げ共に遮音点検口を設ける事としました。外部騒音の侵入経路となる排煙窓にはグラスウール+石膏ボード15tを2層貼りしています(写真6)。
また、1階Studioの遮音天井は、通常は2階床スラブから直接防振吊りとしますが、1階天井(2階床)がALC版で構成されている部分は、2階からの歩行音伝搬を低減するため、ロックウールを貼り込み、浮遮音天井用下地を梁間で支持する方法を採用しました(写真7、8)。
Studio等の場合、壁・天井共に浮遮音層、吸音層、仕上げという複層を順序立てて構築するため、遮音層の事前確認と必要に応じた遮音補強処理が不可欠です。この過程が崩れると、完成後に思わぬ苦労をすることになります。
- 写真5 配水管
- 写真6 排煙窓遮音補強
- 写真7 天井ALC板
- 写真8 ALC板
遮音補強用下地
窓とスピーカー
Control Room最後列に着席するクライアントからも広いStudioを一望できるようにと、視線を重視した設計の大きな窓と、コンセプトカラーであるドンファンレッドにカスタマイズされた2chメインモニターRL901Kをビルトインしたバッフル面の施工に関しては、機能、音響性能の両方を満たすべく、悩みながら工事を進めていきました。純正のスピーカー台に設置しての使用に定評のあるRL901Kですが、今回はクライアントの強い要望により、あえて難易度の高いビルトイン方式に挑戦しています。
窓の総重量はガラスもあわせると約850kgとなり、更に窓上部には前述の2ch用スピーカー2台とモルタルで作られたスピーカー台、サラウンドLCRの3台のスピーカーが加わり、トータル1ton強となります。窓はコントロールルームとスタジオ間の遮音性能を決める重要な部位であるため、慎重に防振計算をし、浮床の防振ゴムの配置を決めていきました。
ここでの最大の問題点は、大きな窓とするために、限られたスペースの中でスピーカー台と窓枠を絶縁することができないこと、つまり、スピーカーの振動が窓枠を通してガラスに伝搬してしまうということを意味しています。また、スピーカー及びスピーカー台の重量だけでも300kgを超えるため、ガラスに負担をかけず、更にスピーカーの振動をガラスになるべく伝えないよう検討した結果、窓上枠は躯体の梁からの単独防振吊りとしました。
施工後、ガラスに振動ピックアップを取付け、実際にスピーカーから音を出して計12点の振動測定をしてみると(図4、5-1、5-2)、Control Room側のガラスよりもエキスパンションで切れたStudio側のガラスの振動が大きく、特にStudio側のガラス中央部(点2、5、8、11)の値が大きい結果でした。これは窓内部に放射された音により、Studio側のガラスが加振され、Studio側に放射されていることが判りました(図6)。それを解消すべく、振動伝搬経路となる窓上枠に付加的に荷重をかけて振動を抑え、さらに振動源となるスピーカーとスピーカー台の間に緩衝材を挟みこむことによって低域の振動伝搬を低減しました。その他に、スピーカー再生音の調整にバッフル面内部の吸音処理など、音響調整には多少時間がかかりましたが、インパクトのあるバッフル面のデザインを変更することなく、良好なモニター空間をつくることができました。
- 写真9 Control Room
- 写真10 Studio
図4 のぞき窓断面図
図5-1 Control Room側 窓ガラス測定点
図5-2 Studio側 窓ガラス測定点
図6 窓ガラス振動測定結果
Studio周囲の床
一般的に問題となりやすい事項にStudioに接する廊下(木製上床)の歩行音があります。今回、Studioに隣接するトイレと廊下に設計上の段差が有り、トイレから廊下に出る一歩目の足音がStudioへ伝搬することが考えられ、重点的な対策を施しました(図7、写真11)。通常、歩行音を防止するために床仕上げ材に柔らかいタイルカーペットを提案しますが、歩行感、掃除のしやすさを考え、あえて硬いタイル仕上げの仕様が採用されました。
Studioに面する廊下の床ですから、当然、Studioの遮音壁からは絶縁していますが、今回は廊下の床板そのものの振動を防ぐために、内部に建築用の砂とグラスウールを充填し(写真12)、上床内部の空間をなくすことと、スラブ床のダンピング処理を施しました。加えて、床板の振動減衰を目的として、比重の重い制振マットを挟み込み、非常に振動減衰に優れた床に仕上げた結果、Studioへの歩行音伝搬を低減しています。測定の結果を図8に示します。
吸音層
前述のとおり、アフレコスタジオとして役者さんの立ち位置や窓の大きさなどにこだわりのある計画となっていますが、音響的にはこの大きな窓は反射面となるため、内部の吸音・拡散処理には大変気を使いました。とはいえ、吸音しすぎてはデッドになりすぎ、役者さんにとって居心地の良い空間とは言えなくなります。天井・壁にはランダムな角度にむけた拡散と吸音を兼ねた音響拡散板やサウンドトラップなどを部位に応じて使い分け、ダンピング処理も兼ねて拡散形状にレンガを壁に貼りつけました(写真13、14)。特に、低域の音圧レベルが上昇し易いコーナー部や梁囲い部分の下がり天井と壁とで区切られた天井空間を重点的に吸音処理することで、音響的には不利な窓からの反射とバランスを取り、音場を整えました。
図7 上床施工範囲
- 写真11 Studio前廊下
- 写真12 砂充填
図8 振動測定結果
写真13 壁吸音拡散板
写真14 拡散用レンガ
6. Studioを囲むすごしやすい空間
『役者さんのすごしやすさ』というコンセプトはスタジオに入る前の空間やオフィス空間にも反映されています。従来のアフレコスタジオにはなかなか見られないミニバーやVIP Roomは役者さんへの気配りの面から考えられた機能的デザインと言えます。その他、前述の広いトイレ、オフィス部分にも動線計画を含め、細部にまで至るこだわりが表現され、全体がコンセプトカラーであるドンファンレッドに統一されています。これらの機能的デザインの考え方、新しいアフレコスタジオのあり方について勉強させて頂いたことは、貴重な経験となりました。
□ クライアントからのメッセージ □
今回、当社が日本音響様に施工を依頼した経緯として、
- 型に捕われず、こちらのニーズに柔軟に答えて頂ける事。
- スタジオ施工の経験豊富さとクオリティーの高さ。
- そして限られた中での予算組。
これらの3ポイントに対応して頂けるのが日本音響様ではないかと判断し、お願いする事となりました。
特に当社は、自分を含め技術者という立場からの直接の要望が多く、御社はかなりやりにくかったと思います。深夜にわたりディスカッションし、全ての事を対応して頂いた事には大変感謝しております。
現在、1stのみ完成で将来的には、6.1ch対応の2st、2ch +アナブースの3stを増設していく予定です。また是非、日本音響様のお力添えを頂きたいと強く願っております。崎山様、堀井様、酒井様、葛西様、施工に関わって頂いた方々、有り難うございました。
またよろしくお願い致します!!
写真15 オフィス
写真16 ミニバー(左側にオフィスに通じる階段)
写真17 廊下(ミニバーからエントランスを臨む)