株式会社オートテクニックジャパン 斉藤 勇 平内 康一 松本 憲偉
ソリューション事業部 森尾 謙一(聞き手)
人材育成× 音× オートテクニックジャパン
昨年、株式会社オートテクニックジャパン様(以下ATJ)は自動車の振動・騒音を扱うエンジニアに対して“音を聴き分ける”トレーニング、聴能形成をスタートさせました。
ATJは自動車の完成車メーカー、サプライヤーの研究開発・品質保証に関連する業務を請け負う企業で、特に自動車、オートバイにおいては市販車からレース車両まで幅広い領域に対応可能。設計、解析から実車、実機のテストまで経験、知見のあるエンジニアが多数在籍されています。日々変化する様々なニーズに応えるため、各種試験コーディネートや計測器製作なども行う、モビリティ業界のテストプロデュースカンパニーとお伺いしております。
ATJのような自動車関連企業がなぜ今、聴能形成を開始したのか、その動機、経緯は大変興味深いものでした。本技術ニュースではATJにおいて自動車の音・振動に携わる部門に在籍され、聴能形成を推進されている斉藤様、平内様、松本様(以下、敬称略)の3名をお迎えし、弊社製品聴能形成支援システム「真耳」導入の動機、経緯についてお伺いするとともに、そのトレーニング実施方法、経過、今後の展望について斉藤様に寄稿いただきました。これから聴能形成を始めたいとお考えの方はもちろん、音を生業とする私たちにとって音を聴く力は切っても切れないものであります。ぜひご一読いただければと思います。
エンジニア育成を加速させたい
—まず、なぜ音のトレーニング、聴能形成が必要なのか教えてください。
斉藤:音に関する業務を行うときに「聴感評価に対し自信を持ってできるようになる」ためには10年程かかると言われることもありましたが、若手の育成期間を加速させたいという思いから体系的な聴能形成トレーニングにたどり着きました。
—どういうところに時間がかかるのでしょうか?
斉藤:例えば、対象となる自動車の騒音を知らなければその音に意識が向かない。すなわち「聴き分けが出来ない」と考えています。しかし、その音を知る機会は実際に車に乗り、走ることでしか得られないため時間が掛かるのです。
平内:お客様と車両開発の過程で問題となる音に対して、その「音を共有」できなければいけない。実際に車を走行させて計測しますが、自分で聞いた音がデータと確かに合致するというのが私たちの仕事の中では非常に重要になります。
—「聴感と物理データの対応が取れる」、「物理データや言葉からその音が想像できる」という能力が車両開発の現場で必要とされており、その早期育成手段として聴能形成がまさにフィットするのではと考えられたわけですね。
探していたトレーニング方法が見つかった
平内:騒音振動の教育というと物理的な話がメインで、実際に音として聴いてどうなのかということを教育システムとして実現しているものがありませんでした。そのような教育システムにアンテナを張っていたところ、斉藤と松本が「真耳」を見つけてきました。
松本:基礎知識の学術資料や参考書はあるのですが、聴感評価に対しての教材やセミナーがあまりなく、音経験を積むことでしか成長できないという意見があり、そのような教育システムを探していたところ「真耳」というものを知りました。振動については、弊社でフィーリングトレーニングという形でアイドル振動時のステアリング振動を加振機で模擬し、そこでゲインを振って物理量の判定や主観的な良否判断を行っていました。振動のトレーニングが確立し、次に音のトレーニングを行いたいと考えていた時でした。
—音についてもトレーニング方法の自社開発を考えていましたか?
松本:音のトレーニングを行おうとしましたが、トレーニング用の音を作成する時間や自動車の音をリアルに加工できるノウハウがなく、中々自社開発は実現できませんでした。人とくるまのテクノロジー展で御社の「真耳」を見つけ「探していたものがあった! 」と心の中で叫びました。
楽しみながらのトレーニングである一方
—1年間のトレーニングを振り返っていかがでしたか?
平内:真耳の問題形式がクイズのような感覚で解きやすかったと思います。いくつか選択肢を与えて「さあどれだ」みたいな。それですぐに正解がわかるじゃないですか。そうすると問題に真剣に、そして楽しみながら実施している様子が受講者から見てとれましたが、中には能力が数値化されることに物凄くプレッシャーを感じながら実施されている方もいました。
—数字として出てしまうつらさはありますね。集団トレーニングは聴能形成の特徴の1つですが、集団トレーニングの効果はありましたか?
平内:5人1組で実施しましたが、うまくコミュニケーションを取りながらできたグループもあれば、そうでないグループもありました。「真耳」をきっかけにベテランと若手のコミュニケーションが増したという話も聞いていますので、集団でやるメリットはあると思います。
運用上の苦労も・・・
斉藤:講習会場が現場と離れていたので、移動時間や機材を常設できる場所がないなど場所の問題は苦労しました。他社様では真耳専用の部屋に機材を常設してやっていると聞いて、それは羨ましいなと思いました。
平内:開催頻度にも実務との兼ね合いで制限があり、自主練習用ツールを受講者に配布しましたが、個々の音源再生環境にバラつきがあり、あまり効果を上げられませんでした。
斉藤:運営として受講者の人数が多く、成績のアウトプットをすぐに配信できなかったのは反省点です。受講者はその場の結果のみの確認で、自身の傾向を見返す前に次の講習が始まっていました。そこでしっかりと個々の成績が管理できればモチベーションも上がり自分の成長も感じ、さらに面白くトレーニングできたのかなと思います。
—オンライン版(真耳Online)の宣伝文句になりそうなコメントをありがとうございます(笑)。そういったところを軽減するのが真耳Onlineの目的の一つだったので、是非試して頂ければと思っております。
音を聴く姿勢が変わった
平内:純音や1/3オクターブバンドノイズとか「音の高い╱低い」「音色の違い」などの基礎的コンテンツが用意されていたというのが非常に助かりました。実際その訓練が私たちの求める能力にマッチするかどうかがわからずにやってきましたが、その中でロードノイズを聴き分けるのには1/3オクターブバンドの音というのは重要だと感じました。周波数特性の山付けトレーニングは、ロードノイズや風切り音でためになりました。やってみないとわからないこともあって受講者のアンケートが参考になりましたね。
斉藤:受講者アンケートで「業務で役に立ったコンテンツ」を質問したところ「次数音の山付け」「ロードノイズ」「1/3オクターブバンドノイズ」が役立ったという意見が多く、逆に「音楽再生音の音圧レベル差」はあまり役に立っていないという結果が出ました。顕著に自動車関連企業としての傾向が出たと思います。
松本:受講者に尋ねると音を聴く姿勢は以前より増しているようです。実際の受講者の声として「今までは計測画面を見てデータの精度を見れば良いという意識だったが、しっかりと実現象の音を聴く意識が付いた」という話もあり、音を聴く姿勢が変わったことによる効果は大きいと感じています。
お客様から新人に対しても聴感評価を求められるようになった
—具体的にどんな効果がありましたか?
松本:お客様の開発車両で騒音の検証を行う際に聴感評価を求められるようになりました。しかも「真耳」を行っている新人に対しても尋ねられるようになって、聴能形成導入の効果は大きかったと感じています。
運転、計測、さらに官能評価ができる人材が強みに
—この先のビジョンをお聞かせください。
斉藤:初年度は基礎的なコンテンツを中心に行いましたが、徐々に専門性に特化したコンテンツを増やしつつ、レベルを上げていき、最終的には自動車で発生する複合的な音に対して各機能横通しで車両一台分の解析/検証を実施できるような人材を作りたいというのが目標ですね。
—トレーニングの基礎はみんな同じようなものが必要になりますが、そこから応用的なトレーニングを進めていくと業務内容によって、やるべきコンテンツが変わってくるのかなと思います。
平内:その通りだと思います。本来弊社が得意としている「車の運転技能」や「計測技術」に加えて、「自信を持って音も聴き分けられる」人材が将来的に聴能形成を実施している受講者から育ってくれればと思っています。それが弊社の更なる強みになると確信しています。
導入事例
株式会社オートテクニックジャパン 斉藤 勇
1.はじめに
前ページでは「導入の目的」や「今後目指す方向性」を日本音響エンジニアリング様とのインタビューでお話しさせていただきました。本ページでは、自動車関連企業が真耳システムを運用する際に直面する3つの難関「①導入提案」→「②実施方法と進め方」→「③受講者の成長」にどのように弊社は向き合っていったのか、より詳しくリアルに述べさせていただきます。真耳システムを導入し、まだ1年足らずの取り組み内容ですが、導入を検討されている方に少しでも参考になれば幸いです。
2.導入提案
1)百聞は一聴に如かず
造語ですが真耳システムにはこの言葉がぴったりだと思います。ATJでは導入前に日本音響エンジニアリング様にご協力頂き、真耳システムのデモンストレーションを役職者・管理職向けに実施しました。実施後のアンケートでは運用面の不安は上がったものの、内容そのものは大変好評であり、集計結果も前向きな意見が多く出ました。
2)受講対象者へのアンケート
真耳システムに関わらず教育というと「トップダウン」というイメージが強いですが、弊社のシステムの導入提案は「ボトムアップ」でした。現場が意思を持ち、真耳システムに取り組みたいということを示すために受講対象者に2つの質問を投げかけました。
以上の通り真耳システムが必要だという声が98%
聴能評価に対して体系的な教育が必要であるということを示すことができました。皆様の現場では結果が異なるとは思いますが、一度「現場の声を表出化」してみてはいかがでしょうか。
3.実施方法と進め方
1)運営体制
ATJの場合は「90名の受講者」に対し「3名の運営」で臨みました。他企業様の導入事例では若年層のみ対象としていることが多いですが、弊社では若年層には音のエンジニア育成の加速化を、中堅・ベテラン層は現状持ち合わせている能力の確認という意味合いで、音の業務に携わる全員を受講対象としました。
2)開催頻度
ATJの場合は「隔週で30分間」の受講(17回╱年度)に設定しました。これは開催頻度や拘束時間を多くしてしまうと受講者の実務に支障が出てしまうことと、講師の負荷が高くなってしまうことを危惧し設定しました。継続していくためには、業務形態に合わせた無理のない開催頻度の設定が求められます。
3)カリキュラム
責任を持ち自動車の聴能判定ができるようになることを最終目標に以下のロードマップを作成しました。
導入初年度「音の弁別可能」から「より実践的に弁別可能」に到達するために、どのようなカリキュラムを実施したのかを紹介します。当時、自動車関連企業での導入事例は大変少なくカリキュラム作成に関し、日本音響エンジニアリングの森尾様、九州大学名誉教授╱日本大学特任教授の岩宮先生、九州大学准教授の河原先生にご教授頂きました。その、初年度のカリキュラムを次ページの表に示します。
ATJでは3つのSTEPを設けてトレーニングに取り組みました。STEP1は「導入」として音を聴く意識作りを目的に音の違いの聞き分けを実施しました。STEP2は「基礎」として物理値(freq.:周波数)と聴感を関連付けることを目的に音の違いを物理値で回答することを実施しました。STEP3は「実践模擬」として実践で役立つカリキュラムを意識し自動車走行音の中で強調される周波数や回転次数の変化を捉えるトレーニングを実施しました。弊社で加工した次数音(一部回転域)のグラフを以下に掲載します。
自動車関連企業で導入する際は最終的には自動車走行音を聴き分けることが大前提となるため、よりリアルな音源の作成が重要なポイントとなってきます。
4.受講者の成長
1)成績から読み取る受講者の成長
受講者全体の平均成績を以下に示します。
STEP1・2「導入・基礎」に対しては音の業務に携わっていることもありtry1から正答率が高く、回数を重ねると精度が高まる結果となりました。STEP3「実践模擬」では自動車走行中の変化音を捉えきれずtry1の正答率は低いですが、受講者間でオノマトペの共有を行い、音のイメージを掴んでもらうなど工夫を凝らすことで徐々に「聴きどころ」を掴み正答率が上がりました。
2)アンケートから読み取る受講者の意識変化
成績管理だけでは読み取れない受講者の意識変化を定期的なアンケートで管理しました。アンケート結果では「音を聴く意識が向上した」、「周波数╱音圧の基軸ができた」という回答が過半数を上回り真耳システムの効果を伺えました。
また、受講者の声を聞きながらカリキュラムの難易度調整をするなど工夫することができました。
5.課題
自動車関連企業として「受講者が業務で役に立つ有効なコンテンツ」は現状のカリキュラムでは不十分であり、多種多様な機能を有する自動車では専門性に特化した音を出題することが今後の課題と捉えています。
6.今後の方針
今後は、さらに専門性を高めるために各機能に分類しクラス編成を実施します。
7.むすび
今後も継続して聴能形成を実施し業界全体の聴能形成訓練の発展に繋げていく所存です。推進に多大なるご協力を賜りました皆様には感謝申し上げると共に、不慣れな部分も御座いますが今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。