音空間事業本部 金沢 克行
1. はじめに
2007年4月パイオニア(株)様の研究施設が新設されました。その施設は約38,800㎡の敷地に6階建て、延べ床面積が約50,000㎡という、電波暗室やシールド室なども完備された大規模な研究施設です。この新設プロジェクトの中で、弊社は所沢事業所に有った試聴室・無響室をバージョンアップして移転する、設計・施工に参画することができました。・・・所沢の音響施設は今から約30年も前から15年以上の歳月をかけて造り上げてきましたので、工事前の打合せ時に、お客様にご案内いただいた時には感慨深いものがありました。・・・計画の概要は、1階試聴室×6室、2階無響室×2室、3階試聴室×6室です。概ね、音響工事の紹介というと、お客様と検討を重ねて施工した(遮音・反射・拡散・吸音といった)内容の技術記事が多いと思いますが、本編では、お客様のご意見に重点を置き、ご感想なども戴いて、インタビュー形式にてご紹介いたします。
2. 1階の試聴室
1階には、大きめな試聴室が2室と中規模試聴室が4室の計6室があります。試聴室の音響内装は、正面反射壁・側壁拡散・後壁吸音、天井は全吸音というのが基本構成ですが、実際にはこんなにシンプルなものではありません。これに色々な手段で音響装置やお客様ご要望のスクリーンやプロジェクター、天井バトン、その他を付帯させていきます。デザイン・色調面についても映像との視覚的な絡みがありますので仕上げ材の選択には多いに注意を払いました。従って、全体的に少々暗めな色使いになっています。さて、ご担当はAV技術統括部スピーカー技術部の漆間様です。
【図-1】 1階試聴室のレイアウト
1. この移転計画にあたって「こんな音響施設にしたい」というようなコンセプトを、ご苦労されたことも折り混ぜてお話しいただけますか。
我々が使う試聴室の一番の目的は、開発中の製品の完成度を明確に把握することです。 そのため、製品や試作品の良いところも悪いところも正確に音として出してくれるような、鑑賞室ではなくて検聴室に近い試聴室にしようと思いました。完成度の低い試作品の音が最初から気持ちよく鳴ってしまうと、製品設計の判断を間違います。また、試作品の完成度が上がってきたときにはちゃんと良い音で鳴って、その製品の魅力を伝えてくれなくてはいけません。
実際には試聴室は検聴専用ではなく、社内外に対する製品のデモンストレーションにも使います。検聴と鑑賞を両立しなければならない訳ですが、これには試聴室の基本的な性能をバランス良く、高いレベルに持って行かなければならないと思います。そのためには試聴室の面積や天井高さの確保、遮音性能の確保、といったやり直しのきかない基本的な部分は手を抜かずに作り込むことが最も重要です。
残響については一つの方法として、全部屋において取外し可能な壁パネル構造という手段を講じました。これについては後々調整できる自由度を残し、使いながら我々の手で少しずつ吸音・反射を加減していくことになります。
内装意匠にも配慮しました。長時間の試聴もできるだけ快適に行うためと、今後、何年も使って行くにあたり、少しでも居心地の良い「馴染める」試聴室にしたかったからです。
2. 試聴室が6室ありますが、その特徴的な使い方や部署毎の使い別けなどを教えていただけますか。
大規模な試聴室が2室と中規模の試聴室が4室あります。 大きい試聴室のうち1室は、特に高い遮音性能を持っており大音量の試聴ができるようになっています。同時に、内装も暗いトーンにして映像製品を絡めた視聴もできるようにしました。もう一方の大試聴室は、主に大型高級品やハイエンドのスピーカー試聴に使用しています。これは旧所沢事業所にあった大試聴室の後継役としての位置付けになります。
中規模の4試聴室は主に中・小型スピーカーの試聴に使用しています。現時点では2-chオーディオ用、5.1-chサラウンド用という使い分けはしていませんが、今後は試聴室ごとにチューニングを変えて、使い分けをしていくかもしれません。
3. 試聴室を造るにあたり、音響的に譲れなかったことや拘ったこと、注力した点などをお聞かせいただけますか。
まず気にしたのは"不自然な音の響きやクセ"といったものを如何に最初の段階で排除するかということでした。
例えば、吸音層の内装下地を木造軸組にできたことによって、軽量鉄骨下地の場合のような金属的な付帯音(=不快音)を出さずに済んだことは大きな収穫でした。また、浮遮音層や浮床の強度、厚さ、質量を十分に確保することも重要でした。部屋が完成してしまった後からでは全く調整の効かない部分であり、かつ再生音の品質を大きく左右する要素でもあるからです。
こんなところに拘っていた訳ですが、設計の初期段階から、しっかりした構造の図面を確認できていたので、音響的な素性は悪いものにはならないという予測は持っていました。
4. 運用開始から8ケ月ほど経ちますが「こうしたら良かった」とか、今後の運用や展開、また私どもに対するご意見などもありましたら頂戴できますか。
建築途中において、工事中の試聴室にオーディオシステムを持ち込んで音質チェックを行えたことは有意義でした。想像していた設計値と現実の音質とのギャップをかなり縮めることができたと思います。ただ、もう少し時間があれば音響トラップや吸音材などの細かな調整がもっとできたと思うので、そこが心残りではあります。これからは我々自身の手で最終的な細かい音質調整を常に続けていき、音響環境に磨きをかけていきたいと思っています。
今回の試聴室・無響室建設は物件の規模に対して工期が短く、計画を立ち上げてからずっと突貫工事のような状態だったのですが、そんな中でよくあれだけの施設を完成させてくれたと思っております。日本音響エンジニアリング(株)の関係者、皆様のがんばりに深く感謝致します。
【写真-1】 1階試聴室
3. 2階の無響室
2階には完全無響室(吸音楔を床・壁・天井、6面に取り付いている無響室)が2室あります。大きさは全く同じで室有効寸法は7m×4m×天井高さ3m(床から楔先端まで)です。
特筆すべきは、両室ともカットオフ周波数が63Hzの1.2m楔を使用していることです。また、吸音扉をレール式にて広い計測室側に引く扉とすることでスペースに無駄がなく、使い勝手が良い無響室に仕上がっています。個々の部屋で違いが見られるのは床面で、無響室Aはしっかりした歩行感のワイヤーメッシュ床格子、無響室Bは反射を低減するステンレスワイヤー床を採用しています。無響室のご担当も引き続いてAV技術統括部スピーカー技術部の漆間様です。
【図-2】 2階無響室のレイアウト
1. いろんな部署の方が無響室をお使いになると思います。その特徴的な使い方などを教えていただけますか。
我々が所沢事業所にいた頃の無響室はスピーカー技術部専用のような状態でした。この川崎事業所では初めてPDP(プラズマディスプレイ)の設計部署などと同居するようになり、彼等もかなりの頻度で無響室を使用しています。我々スピーカー技術部はスピーカーの音圧や周波数測定などを行っていますが、ほかの技術部は設計している機器から発生する騒音レベルの測定をすることが多いようです。
2. 無響室の今後の運用や新たな展開、また私どもに対するご意見などもありましたらお聞かせ下さい。
世の中にはTDS(Time Delay Spectronictry)のような無響室を使わない音響測定法もありますが、やはり最終的には無響室測定による性能確認は我々スピーカー設計者には欠かせません。これからもそれは変わらないと思います。また、スピーカー以外では環境騒音の問題がクローズアップされる昨今、今後は半無響室や簡易無響室による騒音測定の必要性が拡大していくのかもしれませんね。
【写真-2】 2階無響室
4. 3階の試聴室
3階にも建物中央のELVコア部を挟んで、東西エリアにそれぞれA.B.CとD.E.F試聴室が計6室、配置されています。A.Cが「ステレオ再生音評価」の通常試聴室、B.D.EがCA試験室"Consumer Acceptance(直訳=顧客許容度)"と呼ばれる「民生機評価室」、Fが「サラウンド再生音評価」の試聴室です。音響内装は、A.Cが1階と同様な手法、CA室は壁・天井とも軽めな全吸音で防音室的な手法、Fはサラウンド仕様として吸音・拡散の音響装置をいろんな手段で構築しています。勿論、これにお客様ご要望のスクリーンやプロジェクター他、音響機器に必要な設備を付帯させていることは言うまでもありません。 さて、3階試聴室のご担当はAV技術統括部AV設計部の鹿山様です。鹿山様にも1階と同様のインタビューをさせていただきます。扱い商品の違いが試聴室創りの「こだわり」に現れるのではと期待しております。
【図-3】 3階試聴室A.B.Cのレイアウト
【図-4】 3階試聴室D.E.Fのレイアウト
1. この移転計画にあたって「こんな音響施設にしたい」というようなコンセプトを、ご苦労されたことも折り混ぜてお話しいただけますか。
ステレオ再生音評価室は長年の実績が有りますが、サラウンド再生音評価室を専用に構築するのは、当社では始めての試みでした。しかし、世界各地でのサラウンドデモのセッティングに於けるルームチューニングの経験から、実現したい音の"青写真"は当初より頭の中に有りました。
製品作りに於いても、音質を左脳分析型で評価するとともに、「楽しめるか?」 「感動出来るか?」という右脳評価も、常に最終判断に据えています。
一方、お客様の目的はというと、音質を聴くのではなく、あくまでも音楽を楽しみ、映画で感動することです。
評価室の音質はできるだけ顧客環境に近づけ、かつ若干不利なデッド気味にするというさじ加減を、お互いが共通認識し、それを如何に図面に落とし込んで頂くのか、ということが最初の壁でしたが、御社試聴室での試聴実験が非常に有効だったと思い出されます。
2. 試聴室が6室ありますが、その特徴的な使い方や部署毎の使い別けなどを教えていただけますか。
試聴室A.Cはステレオ音質評価及びデモに、Fはステレオとサラウンドの音質評価及びデモに使用しています。
Bは映像評価が主目的なので壁・天井の配色を暗めにしました。D.Eは軽めの吸音とすることで、より一般家庭に近い再生音環境にしています。ここではステレオ及びサラウンドの新規技術開発やテストを行います。
3. 試聴室を造るにあたり、音響的に譲れなかったことや拘ったこと、注力した点などをお聞かせいただけますか。
一般家庭でのリスニングルームやホームシアター(カスタムインスタレーションを含む)での再生音と同質の音を実現することに拘りました。その結果、通常の試聴室やスタジオの音響内装で使用される吸音方式から若干の変更を試みて頂きました。方式決定に先立ち、御社試聴室での立合い実験のご提案を頂いたことが非常に有効でした。
関係者全員が"どういう実験を行えば納得出来るか?"半日ほど頭を悩ませて実験に臨みましたが、色々と試行錯誤をして、その上で決定した吸音と拡散の方策を図面に落とし込んで頂けたのが非常に良かったと思います。
現在、最終音響調整工事の最中ですが、工事関係者の方にも別室でサラウンドの体験をする時間を割いて頂きました。お願いしている工事の意義を工事関係者全員にご理解頂くことも、我々の義務だと考えています。
4. 運用開始から8ケ月ほど経ちますが「こうしたら良かった」とか、今後の運用や展開、また私どもに対するご意見などもありましたら頂戴できますか。
先ず初めに、短い工期にも係らず全面的に我々の要望を取り入れて頂けたことを、関係者の皆様全員に感謝致します。どうしても抽象的に成りがちな我々の要望を、常に前向きに捉えてフットワーク軽く動いて頂けました。
現在進行中の最終音響調整工事についても同様です。
照明に関して、一部の部屋でデモ用ダウンライトと作業用蛍光灯を併設しましたが、蛍光器具において、うなり(非インバーター)を選択するか、ノイズ(インバーター)を選択するかは、永遠の課題です。
【写真-3】 3階試聴室
5. おわりに
私がこのプロジェクトに参加したのは2006年11月のことで、それからゼネコンさんと絡んだ工事を1月初旬に着工して、その完成検査が2007年3月末、引続き音響内装工事を継続して、3階試聴室の内装完成は5月末、1階試聴室と2階無響室の完成が6月中旬、そしてようやくお客様が段階的に引越し・・・こんな工程順序で作業は一旦終了しました。
この工事は、特殊内装を専門とする弊社にとって最大級の規模でしたし、音響的にも難易度の高い内容を有していましたから、その忙しさは半端ではありませんでした。
完成を目指していろんな提案や手段を講じました。通勤電車で描いたスケッチから始まりCGパースの提出、実物サンプル検討と選択そしてカラースキーム、これら"建築意匠上"のプレゼンは当たり前のことで、まだまだ序の口でした。「如何にして、お客様に満足いただける音響施設を提供出来るか!」 当然のこと、いつもの事ですが、これが完成に至るまでの重要なポイントです。
【スケッチ-1】 工事中の検討図
私たちが講じた"音響上の"提案と手段の最たるものは、
- 工事の初期に
⇒弊社試聴室におけるサウンドトラップの試聴実験 - 内装完成の直前に
⇒工事中の現場における吸音材ほかの中間調整 - 完成後の現在
⇒使い勝手と音場がマッチしない部屋の最終調整
(音響調整工事はお客様の移転後、トレーニング作業が落ち着いた執筆中の、2008年2月現在、まさに施工中です。)
"お客様と重ねた試行錯誤"とも言えるこれらのイベントが音響の施工方法を決定できた最も大きなプレゼンではなかったでしょうか。どの程度お役に立てたかは判りませんが、私たちにとっても感性と耳を鍛えるチャンスでした。お客様から生の声をお伺いできたこと、求める音場に近づけるためのプロセスに携われたこと、このようなプロジェクトに参加できて誇りに思います。
最後になりましたが、ご担当の漆間様と鹿山様には計画段階から工事を通し、このインタビューに至る長期に渡って、お忙しい中お付き合いいただき深く感謝いたします。
また、ご参加いただいた施工業者の皆様ほか、関係各位のご協力にも、この場をお借りしましてお礼申し上げます。
【スケッチ-2】 プレゼン用の下絵