東北大学 電気通信研究所の音響実験設備

音空間事業本部 柿沼 誠、広瀬 裕二
ソリューション事業部 松尾 浩義、高島 和博

写真1 無響室とスピーカ昇降装置
写真1 無響室とスピーカ昇降装置

1. はじめに

東北大学 電気通信研究所は、仙台市に1935年に設立された研究所であり、音響学の分野では聴覚機構の解明とそれに基づく音響システムの開発に関する研究拠点として広く知られています。その電気通信研究所に於いて、2015年3月に新棟として本館が新たに竣工しました。私達はその本館内に、最先端の音響実験設備である高精度音環境感性実験室及び高感性3次元音空間実験装置を施工・納入する機会をいただきました。私たちにとっても新しい挑戦が多いプロジェクトでしたが、多くの皆様のご協力をいただき、現在だけでなく将来にもわたり利用できる最先端の音響情報開発拠点として相応しい施設が完成しました。

2. 高精度音環境感性実験室

東北大学 電気通信研究所の先端音情報システム研究室では、文学研究科の心理学教室等との共同により、聴覚情報(音刺激)と聴覚刺激等を加えた多感覚情報に関する心理実験と脳波計測等を数多く行ってきており、今後は各種の脳活動計測や生理指標計測も計画しています。

これらの研究での音響実験の為に、音の反射の無い静寂な空間=「無響室」が計画されました。また、自己運動を含めた人間の外界空間知覚の解明や嗅覚メカニズムの解明など、多感覚情報の処理過程を明らかにする多目的実験室として、「防音シールド室」が計画されました。この両室は、どちらも吸音楔を使用した無響室ですが、両室の仕様はその目的の違いから大きく異なります。

高精度音環境感性実験室は、無響室・防音シールド室・空調を静寂に行うための空調熱交換室の3室で構成されており、2015年11月に竣工した本館の1F に設置されています。

2.1 無響室

無響室は、市街地に設置された無響室として国内でもトップクラスの性能を誇ります。内部にはスピーカ昇降装置上にスピーカアレイが設置され、立体音響の実験を行うことができる環境が構築されているのが特徴的です。無響室の特徴について下記にまとめます。

室内有効寸法

7.0m×8.5m×6.0mH
(歩行床面から天井まで3.5m)

室内暗騒音レベル(A特性音圧レベル)

空調稼働時(強運転時) :3dB
空調稼働時(弱運転時) :2dB
空調停止時 :1dB
室内の暗騒音レベルは設置前の予測計算通りであり、非常に静寂な空間を実現できました。天井壁床6面を防振ゴム支持した遮音層を構築した「完全浮遮音構造」を採用しています。空調設備機器・ダクトも独立した防振支持とし、遮音層貫通部においても、遮音処理と同時に振動の絶縁処理を行い静けさを確保しました。

吸音構造

ポリエステル繊維吸音楔(長さ1050mm)
特徴的なのは、2種類の吸音楔を使い分け、低周波域の限界(遮断周波数)を下げることに成功している点です。通常、1種類の楔で無響室は設計するのですが、無響室の設計にスタジオなどで行う「音響設計」の思想を持ち込み、吸音層の設計を行いました。

歩行床

ステンレス細線5φを格子に組み、その格子を支持する部位をトラス構造にした3次元形状を持つ床を開発しました。詳細は後述します。

電磁シールド性能

30dB/0.1 ~ 30MHz
遮音層の内側にアルミシールドシートを天井壁床6面全てに貼り、電磁シールド層を構築しています。

歩廊

無響室の周囲に、耐荷重180kg/㎡の歩廊を設置しました。歩廊の下地鉄骨は建屋躯体面から支持し、無響室とは接触しないように構築しているので、歩廊を歩いている時の歩行音は無響室内でまったく聞こえません。
人感センサー付きの照明を設置し、防音シールド室の歩行床及び床の吸音楔の収納が出来るスペースを確保しています。

写真2 歩行床
写真2 歩行床

図1 全体平面図
図1 全体平面図

図2 無響室 暗騒音測定結果
図2 無響室 暗騒音測定結果

2.2 防音シールド室

写真3 防音シールド室での実験
写真3 防音シールド室での実験

無響室が純粋な音響実験設備であるのに対し、防音シールド室は嗅覚や移動時の音響実験にも対応できる、まさに多目的な音響実験設備です。

室内有効寸法

4.5m×3.9m×4.1mH
(歩行床面から天井まで3.9m)

室内暗騒音レベル(A特性音圧レベル)

空調稼働時(強運転時) :5dB
空調稼働時(弱運転時) :5dB
空調停止時 :5dB
室内の暗騒音レベルは設置前の予測計算通りであり、非常に静寂な空間を実現できました。床に高密度グラスウールを用いた乾式浮床、天井壁は防振ゴム支持したシールドパネルの内側に遮音層を構築しました。

吸音構造

ポリエステル繊維吸音楔(長さ325mm)

歩行床

無響室と同様の仕様ですが、床を反射面とした「半無響室」としての使用も行う為、歩行床及び支持柱が取り外し出来るようになっています。床の吸音クサビも運び出すことにより、半無響室となり、音源・被験者移動装置を使用することが出来ます。

電磁シールド性能

100dB/0.1 ~ 30MHz
合板の両面に亜鉛鉄板を貼ったシールドパネルを、天井壁床6面に組み立てし、電磁シールド層を構築しています。扉はシールド建具を採用し、部屋のシールド層と接続する事により、上記のシールド性能が確保できました。

写真4 シールドパネル施工状況
写真4 シールドパネル施工状況

図3 防音シールド室 暗騒音測定結果
図3 防音シールド室 暗騒音測定結果

2.3 吸音楔

今回のプロジェクトではポリエステル繊維の吸音楔が指定されました。無響室の吸音楔の長さは求められる音響性能によって決まりますが、今回の無響室の計画では、低周波から安定した音響性能を確保するために、1050mmという非常に長い吸音楔を採用しました。実は私達にとっても、ポリエステル繊維による吸音楔で1050mmという長さの物は初めての経験でした。そのため、サンプルを試作して試験施工を行い、施工方法の検討を行いました。

ポリエステル繊維不織布は、ペットボトル等の再生ポリエステルも原料に使用しており、使用後のリサイクルも可能な環境に配慮した材料になります。ポリエステル繊維は、グラスウール繊維のように手で触れた時に痒みを伴う事が無いため、表面に繊維の飛散防止用の布を被せずに利用できます。また、今回は「白い」ポリエステル繊維を採用しましたので、無響室内の光の反射性の良い、明るい印象の無響室となりました。

2.4 歩行床

今回のプロジェクトでは、歩行床からの反射音を極力小さくする為に、歩行床を構成する構造材について、直上と斜め上から見た場合に構造材が占める投影面積の割合について配慮が必要でした。

弊社が従来、製作施工してきた歩行床では耐荷重には優れるもののこの要求性能を満たすことができないため、新しい歩行床を開発しました。それが、ステンレス細線5φを75mm×75mmの格子に組み、その格子を支持する部位をトラス構造にした3次元床です。ステンレス細線の投影面積の割合は、直上(90°)の時14.07%、斜め30°の時30.71%となり、耐荷重も含めて満足できる性能の歩行床が実現できました。

この新型歩行床と従来の歩行床の性能を検証する為に、私達の音響研究所無響室に新型歩行床を設置し、音圧レベル距離減衰特性(逆二乗則特性)の測定を行いました。通常の逆二乗則特性の測定では歩行床からの反射の影響がほとんど無い為、その影響がどの位であるのか分かりません。その為、歩行床からの反射の影響がより現れるように測定を行いました。具体的には、歩行床の目地の上で測定を行い、測定点の高さも通常より低い歩行床から0.5mとして測定を行いました。

結果を図5に示しますが、新型歩行床は従来の歩行床に比べ、反射音の影響が軽減されていることが確認できました。(特許・意匠出願中)

図4 歩行床概略図
図4 歩行床概略図

図5 音圧レベル距離減衰特性測定結果
図5 音圧レベル距離減衰特性測定結果

3. 高感性3次元音空間実験装置

今回、無響室内で使用する実験設備として、昇降機能が付いた円形状のリングを有するスピーカアレイ、防音シールド室で使用する実験設備として、被験者と音源を高速に移動させる装置が求められました。特に後者は、人間の3次元音空間知覚について、被験者と音源の双方が移動することによる影響の研究を行うためのものです。

3.1 スピーカ昇降装置(無響室に設置)

スピーカアレイを構成するリングは全てパイプを曲げた円弧状になっており、複数の部材に分割できる構造になっています。このリングは水平部とその中央を頂点とした鉛直部に大別され、それぞれに3㎏のスピーカを10°おきに、水平部には最大36個、鉛直部には25個(頂点1個を起点として前後に各12個配置)を取り付けることが可能です。リングの直径はそれぞれ3.7mと3.5mで少し差がありますが、金具を工夫することですべてのスピーカと被験者までの距離は統一されています。また安全を考慮してすべてのスピーカには落下防止のワイヤを取りつけ、所定の位置まで下降したリングは振れ止め支柱に固定されるようになっています。

リングの昇降は大型の電動ウィンチで行います。操作スイッチは、無響室内の入口扉付近に設置しています。モータやドラムの機構部分は無響室天井裏に設置されており、遮音対策された貫通パイプを経由するワイヤのみ室内に露出しています。ワイヤはグループ分けされていますので水平部と鉛直部が個別に操作できるようになっています。また所定の位置から収納位置である無響室天井面に限りなく近いところまで動作させたいので、鉛直部のリングの一部を途中から外側に跳ね上げられるような構造としました。これによりすべてのリングが収納位置まで上昇すると大きな空間が確保できるようになりました。リングおよびスピーカのエンクロージャーには、無響室の吸音楔と同じポリエステル繊維の吸音材を表面に施工して反射音を低減しています。中央には音響実験のために、頭を定位置に固定させつつ、耳周りの反射音を低減できる小さなヘッドレストを持つ特注の椅子も設置しています。

写真5 無響室内に設置されたスピーカアレイ(実験時) 写真5 無響室内に設置されたスピーカアレイ(収納時)
写真5 無響室内に設置されたスピーカアレイ(左:実験時、右:収納時)

3.2 音源・被験者移動装置(防音シールド室に設置)

この装置は、3つの直線運動を行う移動装置により構成されます。中央が被験者を移動させるための大型な高速移動装置を配置し、その両側に音源(スピーカ)移動装置が設置されています。これらの装置が床に埋め込まれた状態で設置されていることが防音シールド室の特徴になっています。

人間が着座した状態で利用する高速移動装置には、高い静粛性と大きな推進力を必要とするため、リニアモーターを採用しています。このモーターは、コイルユニットと摺動部、及びエンコーダ等を個別に選択するカスタム設計で、収納検討や駆動音対策を徹底的に行っています。安全性を考慮して被験者が着座する専用の椅子には安全ベルトおよび緊急停止装置も装備しています。

音源移動装置の主な駆動部は、ACサーボモータ及びタイミングベルトによる構成です。摺動部はウレタンローラでレールを挟み込む構造を採用していますので、大変滑らかで静かな駆動が可能です。

3台の移動装置の操作は、すべてPCから行います。原点移動や数値送りによる位置決めだけでなく、初期移動区間、加速区間、定速移動区間、減速区間の4区間の設定による連続動作も行えるようになっています。

写真6 防音シールド室内に設置された音源・被験者移動装置
写真6 防音シールド室内に設置された音源・被験者移動装置

最大
ストローク
荷重 最大速度 瞬間最大
加速度
動作音の騒音レベル
(着座した人間の耳位置)
備考
被験者
高速移動装置
3.5m 145㎏
(被験者含)
2.0m/s 6.0m/s2 ピーク時45dB以下、
平均40dB以下(1.2m/s 移動時)
レール長4.2m
音源移動装置 2.0m 約3㎏ 0.1m/s 0.1m/s2 ピーク時45dB以下、
平均40dB以下(0.1m/s 移動時)
停止精度
±1mm
図6 音源・被験者移動装置 諸元

4. その他の設備(防音シールド室)

防音シールド室には、上にご紹介した設備のほかにも、私達以外の業者から納入された装置も設置されています。事前に打合せ協議を綿密に行い、現場での工程管理は弊社が行い、装置の据付がスムーズに行われるよう配慮しました。

4.1 嗅覚実験装置

防音シールド室は、嗅覚の実験ができる設備としても計画されています。そのため、直径1mのビニールダクトが上下に昇降し、排気ダクトを持った設備が設置されています。

実験時には、ビニールダクトの中に被験者が入り、臭いを持つ刺激が提示されます。提示後には、排気ダクトで速やかに排出され、連続した試験を行うことができます。試験を行わない時は、排気ダクトが天井付近へ上昇格納されます。ダクトの下面には吸音体が設置され、ダクトの下面からの反射音の影響を低減しています。

写真7 嗅覚実験装置(左側のダクト)頭部伝達関数測定装置(右側のスピーカアレイと椅子)
写真7 嗅覚実験装置(左側のダクト)
頭部伝達関数測定装置(右側のスピーカアレイと椅子)

4.2 頭部伝達関数測定装置

立体音響の再現で必要となるさまざまな角度から音が入射する現象を再現するための基礎データを取得するために、頭部伝達関数測定装置が設置されています。この装置は、もともと、電気通信研究所1号館4Fの旧無響室に設置してあった装置を改良したものです。垂直方向にスピーカを18個設置し、被験者の座る椅子が回転することでさまざまな角度からの入射音を再現でき、頭部伝達関数の測定を行うことができます。

5. おわりに

入札の結果、私達がこのプロジェクトに携わらせていただくことが決まり、最初の打合せに伺ったのが昨年夏の暑い時期でした。それから、定例打合せを重ね、いつの間にか雪が舞うようになり、桜の咲く時期に竣工を迎えることが出来ました。

このプロジェクトは、非常にタイトなスケジュールを余儀なくされました。そのため、先端音情報システム研究室の鈴木教授、坂本准教授、齋藤技術職員には、何度となくお打合せ等の機会を作っていただき、ご対応いただきました。その中にあって、無響室としての性能を最優先し、反射物は小さいものでも極力排除するという強い意志を共有し、プロジェクトを完遂する事が出来たと思っています。

最後に、多岐にわたり御尽力を頂きました先端音情報システム研究室の皆様をはじめ、電気通信研究所用度係様、東北大学施設部様他、本プロジェクトにご協力いただいた皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。

なお、このプロジェクトの概要と歩行床の音響性能については、2015年9月に開催された日本音響学会秋季研究発表会で発表いたしました。1) 2)

お客様の声

この実験室は、東北大学の基盤的研究設備として計画され、総合評価方式を採用した国際競争入札により調達が行われたものです。各種仕様のうち、吸音楔の遮断周波数、室内の許容騒音レベル、実験床構造等、部屋の性能を左右する項目には高い要求基準を設け、より高い性能を実現できる提案に対しては加点して評価する方式としました。

難しい工事で工期が短いことから、高水準の提案がいただけるか心配したところでしたが、日本音響エンジニアリング様は吸音構造や空調騒音レベル等随所に要求水準を超える提案をされ、施工・管理も丁寧、適切に進められました。これらのご努力と関係各位のご協力により、今後の音に関する学術の高度化を支える極めて高性能な基盤設備が完成いたしました。全ての関係者に深く感謝しているところです。また、今回の仕様の何項目かは日本音響エンジニアリング様にとって挑戦的課題となり、床構造などは今後のお仕事にも役立てうる内容になったと聞き、とてもうれしく思っているところです。

私たちは、本実験室を有効に活用して高度な研究を推進してまいります。また、電気通信研究所は文科省の全国共同利用共同研究拠点の認定を受けていますので、学内のみならず、学術機関等の研究者のみなさんにも有効に活用していただけるものと期待しているところです。

【参考文献】

1) 齋藤文孝、坂本修一、鈴木陽一“ 東北大学電気通信研究所 高精度音環境感性実験室の紹介“、日本音響学会2015年秋季研究発表会講演論文集
2) 柿沼誠、大山宏、齋藤文孝、坂本修一、鈴木陽一“ 東北大学電気通信研究所 新無響室歩行床の音響性能“、日本音響学会2015年秋季研究発表会講演論文集