1. はじめに
強風が吹いていた夜、騒音計の録音データは風切り音に覆い尽くされ、航空機騒音の正確な測定が困難な状態に陥りました。翌朝、住民の方から「昨夜の深夜便がひどくうるさかった」と苦情が寄せられましたが、肝心の測定データには風切り音ばかりが記録されている。データで事実を確認することができないーー この無力感は、現場に携わる技術者であれば誰もが一度は経験するものではないでしょうか。
我々が日々向き合う航空機騒音の監視・分析業務には、繰り返し現れる三つの根源的な課題があります。
• 測定データの欠測:気象条件の急変や予期せぬ暗騒音の発生等による測定データの欠落
• 判断の属人化:熟練技術者の経験と勘に依存した分析品質のばらつき
• 地域共生における壁:専門的で難解なデータが建設的な対話に繋がらず、関係者間の溝を深めてしまう現実
これらは特定の飛行場に限った話ではありません。私どもデータサイエンス事業部では、全国20を超える飛行場に騒音監視システムを導入してきましたが、測定環境や運用条件が異なるにもかかわらず、この三つの課題はどの現場にも共通して存在します。我々は30年以上にわたる現場経験を通じて、個々の課題への場当たり的な対処ではなく、一貫した解決の枠組みを体系化する必要性を痛感してきました。
本稿では、生の「データ」を「信頼」で裏打ちし、「価値」ある情報へと変換し、最終的に「社会合意形成ソリューション」として届ける、この一貫したプロセスの全体像をご紹介します。

第1部: データに「信頼」を ― 四つの目で築く、揺るぎない事実の基礎
現場で繰り返される「データが取れない」問題
航空機騒音の監視において、全ての出発点となるのは信頼できる生データです。しかし実際の現場では、そのデータが思うように得られない場面に繰り返し直面します。
暴風雨は暗騒音レベルに大きな影響を与え、航空機騒音の正確な測定を困難にします。航空機以外にも道路交通騒音や生活騒音が混在し、測定された音がどの音源によるものか判別が困難なケースも少なくありません。こうした事象は、いつどの監視局で起きてもおかしくないものです。
騒音計は騒音レベルを直接把握できますが気象条件に影響を受けます。位置情報は航跡を正確に把握できますが、対象機が電波を発信していなければ何も得られません。ひとつの情報源には得意・不得意があり、単独で全ての状況に対応することはできません。この課題を根本的に解決するためにたどり着いたのが、性質の異なる複数の情報源を組み合わせ、互いの弱点を補い合うという考え方です。
四つの目を持つ監視体制
具体的には、以下の情報源を「四つの目」として組み合わせて運用します。
① 音響データ(騒音計・マイクロホン)ー「基本の目」
全ての分析の出発点となる最も基本的で、最も重要なデータです。航空機騒音の評価は環境基準や各種法令に基づいて行われるため、その測定には高い精度と信頼性が求められます。弊社の航空機騒音自動測定装置DL-X1(第53号参照)は、計量法に基づく検定に合格した騒音計を搭載しており、法的にも技術的にも裏付けのある騒音レベルデータを取得します。
測定局は飛行場周辺に複数設置され、24時間365日無人で連続稼働します。取得するデータは騒音レベルの時間変動にとどまらず、暗騒音レベル、環境騒音集計結果、音声の録音データなど多岐にわたり、後段のAI分析や住民対応など様々な場面で活用される基礎情報となります。
② 電波データ(電波センサー)ー「全天候の目」
航空機が発する電波を受信・解析し、悪天候下でもその接近を逃さない情報源です。音響データは航空機が監視局の近くに到達して初めて騒音として捉えられますが、電波センサーは航空機のトランスポンダ等から発せられる電波信号を受動的に受信するため、天候の影響を受けず、より早い段階で接近を検知できます。
DL事業部時代に独自開発し特許を取得した航空機接近検知システム(第58号及び今号NOE技術開発史参照)は、電波による検知時刻と音響データ上の騒音イベント時刻を突き合わせることで、「この騒音は確かに航空機によるもの」という裏付けをより確実に行い、高精度な航空機騒音の自動識別を実現しています。
③ 位置データ(航跡情報)ー「俯瞰の目」
航空機の緯度・経度・高度及び航跡を把握する情報源です。騒音データと航跡を紐付けることで、騒音の原因を特定の便や飛行経路に帰着させることが可能になります。これは騒音対策の検討や住民への説明において極めて重要な情報です。位置データの取得には複数の方式が存在し、飛行場の種別や航空機の特性に応じて最適な方式を取捨選択、あるいは組み合わせて運用します。
民間空港ではADS-Bを主軸にPSSRで補完、離着陸経路の精密把握にはM-LAT、自局センサーの受信範囲外の航空機捕捉や位置データの一般公開にはJSWと、現場ごとに異なる条件に柔軟に対応します。この使い分けのノウハウが、長年の導入実績を通じて蓄積してきた強みのひとつです。
④ 音源探査識別データ ー「識別の目」
複数の騒音源が混在する環境で、音の到来方向と強度をリアルタイムに推定する情報源です。市街地に近い監視局や、沖合展開された飛行場の周辺地域では、道路交通騒音や生活騒音が航空機騒音と同程度の大きさで重なり合っています。
航空機音源探査識別装置SD-100(第37号参照)は、立体的に組み合わせた6本のマイクロホンに到達する音の時間差を解析し、「上空の航空機由来の騒音」と「地上の自動車等が由来の騒音」を空間的に分離します。音響データだけでは判別が難しい環境で「その音が本当に航空機によるものか」を客観的に裏付ける、住民対応にも欠かせない技術です。
四つの目が支える信頼性
これら四つの情報源を統合的に解析し、各データの信頼度を評価します。複数航空機が錯綜する場面では位置データを活用して騒音発生時刻の推定精度を向上させ、複数騒音源が混在する環境では音源探査識別データで航空機由来の音だけを切り出します。
ひとつの情報源が欠けても、あるいはひとつの情報源だけでは判断が難しい状況でも、他の情報源が補完し合うことで、システム全体としてデータの精度を維持し続けます。こうして生のデータは「信頼できる事実」へと生まれ変わり、この多角的に裏付けられた事実こそが、次のステップであるAI分析への最も重要な入力データとなるのです。
第2部: 信頼に「価値」を ― 熟練技術者の耳とAIが、事実から意味を引き出す
複数の情報源の統合活用により信頼性の高いデータ基盤を手に入れました。しかし、「信頼できる事実」は、まだ磨かれていない原石に過ぎません。ここからが、データサイエンス事業部の真骨頂です。
「騒音レベル」だけでは何も分からない
ある監視局の測定データに78dBの騒音イベントが記録されていたとします。しかし、それが航空機によるものか、救急車のサイレンか、突発的な工事音か。この「意味」が解明されなければ、Ldenの算出にも騒音対策の検討にも使えません。第1部で述べた各種データを手がかりに、記録された騒音イベントのひとつひとつについて「航空機によるものか否か」を判定していく作業ーー我々はこれを「データ精査」と呼んでいますーー が、データに価値を与えるための不可欠な工程です。
現場で培われた「耳」の力と、属人化の課題
このデータ精査は、長年にわたり現場に携わってきた熟練技術者の経験則に支えられてきました。エンジン音の周波数特性から機種を推定する。音の立ち上がりや減衰パターンから接近と離脱を聴き分ける。季節や時間帯ごとの環境騒音の傾向を踏まえて航空機騒音を識別する。こうした総合的な判断力ーー現場で培われた「耳」の力は、我々の最も貴重な資産です。
しかし同時に、この高度なスキルの属人化は大きな課題でもありました。これは弊社に限った話ではありません。データ精査を自力で行っている空港管理者や自治体でも、担当者の異動や退職によるノウハウ喪失のリスクは共通しています。膨大な騒音データのひとつひとつを限られた熟練技術者や担当者が確認することには、物理的な限界があるのです。
識別技術の系譜 ― 30 年の蓄積
当事業部はこの課題に早くから着目し、段階的に識別技術の高度化に取り組んできました。統計解析手法を用いた航空機騒音識別法(第28号参照)、スペクトル構造に基づく機種識別方法(第40号参照)、データ精査の自動抽出技術(第42号参照)と、熟練技術者が「何を手がかりに判断しているか」を分析し、その判断基準を定量化・アルゴリズム化してきた歴史です。
熟練技術者を教師とするAI ― 教師データライブラリ
この30年の蓄積の上に、我々は現在、熟練技術者の持つ暗黙知をAIに継承させる新たなステージに挑んでいます。
弊社にはこれまで経験豊富な技術者たちがひとつひとつに耳を傾け、「離陸音」「ヘリコプターのホバリング音」「航空機以外の音」といった詳細なラベルを付与してきた膨大な教師データライブラリがあります。このライブラリの価値は、単にラベルの数が多いことだけにあるのではありません。沖合展開の飛行場、内陸部の飛行場、都市部の飛行場など全国の多様な環境で収集された音響・電波等の複合データに、現場を知る技術者が複数の情報源を突き合わせてラベルを付けている点にあります。単一情報源のラベリングとは判定の確度が根本的に異なり、新規参入者が短期間で追随できるものではありません。
この教師データライブラリで教師あり機械学習を行い、熟練技術者の判断パターンを再現します。学習済みモデルは、音響的な特徴だけでなく電波データなどとの整合性も加味し、「この音は航空機である確率がXX%」といった判定を自動で付与します。
人とAI の協業がもたらす飛躍
この仕組みにより、従来は膨大な時間を投下していたデータ精査作業を大幅に短縮できるようになりました。ただし、これは人の代替ではありません。AIが一次スクリーニングを高速に行い、「判断に迷う」ケースにフラグを立て、人間がそこに集中して高度な判断を行う。この役割分担により、分析品質の向上と効率化を同時に達成しています。
ここで磨き上げられた「価値ある情報」どの便が、いつ、どの程度の騒音をもたらしたかが明確に紐付けられたデータは、次章で述べる社会との対話の場でその真価を発揮します。なお、この熟練技術者の知見をAIに継承するアプローチは、航空機騒音に限らず、工場の異常音検知や建設現場の環境騒音分類など、音響に関わるあらゆる分野に応用可能な汎用的手法であると考えています。

第3部:価値を「社会合意」へ―データが対立を対話に変える
「正しいデータが、そのままでは届かない
第2部までのプロセスを経て、「いつ、どの便が、どの経路を、どの高度で飛行し、地上のどの地点にどの程度の騒音をもたらしたか」が紐付けられたデータが揃っています。しかし、このデータを航空機騒音問題の関係者、空港管理者、行政、航空会社、地域住民に届ける段階で、新たな課題が生じます。
例えば、行政が住民に対して「直近5年間の騒音測定結果では、環境基準を達成しています」と説明したとします。データとしては正確です。しかし、住民の不満は年間平均値には表れにくい特定の時間帯や特定ルートに集中する騒音に起因していることが少なくありません。
「22時以降に自宅の真上を通過する便がうるさい」という訴えに対して、年間平均のLdenを提示しても議論は噛み合いません。逆に、住民から「便数を減らしてほしい」と要望があっても、影響範囲を客観的に検証するデータがなければ対策の検討に入れません。
つまり、データの正しさと、そのデータが関係者間の議論の土台として機能するかどうかは、全く別の問題です。第2部までに磨き上げた「価値ある情報」を、立場の異なる全ての関係者が共有し議論できる形に翻訳することこれが最後の、そして最も難しいステージです。
「Balanced Approach」が求めるもの
航空機騒音問題において、ICAOは「Balanced Approach」を国際標準として提唱しています。航空機自体の騒音低減、土地利用計画及び管理、騒音軽減運航方式、運航制限の四つの柱を、関係者間の対話と客観的データに基づいて多角的に検討する枠組みです。
鍵となるのは「客観的データに基づく関係者間の対話」という要件です。立場の異なる全ての関係者が同じデータを同じ理解のもとに議論できる環境を整えることが求められています。
分析システムが実現するデータの可視化
この環境を実現する中核が、当事業部が開発したクラウド型システム「Airise」(第57号参照)に代表される、航空機騒音データ分析システムです。航空機騒音データ分析システムは第1部で取得し第2部で精査・分析した騒音データと航跡データを統合し、以下の形で可視化します。
航跡と騒音の重畳表示:「どの便が、どのルートを飛び、どの地点でどれだけの騒音を発生させたか」を地図上にマッピングします。1便ごとの実態を視覚的に確認できるため、「深夜のこの時間帯にこのルートを通過した便が特にうるさかった」といった、住民の実感に対応する形でデータを提示可能です。
時間帯別・ルート別の統計分析:深夜帯に特定ルートを通過した便数と騒音レベルの傾向などの各種分析結果を可視化します。「22時以降に北側ルートを通過する便の騒音レベルが過去3年間でどう推移しているか」といった分析を、専門知識がなくとも読み取れる形で表現します。
データが「対話のテーブル」になる
こうした可視化により議論の前提が揃います。「とにかくうるさい」と「基準はクリアしている」の平行線が、「この時間帯のこのルートに課題がある。ではどう対策するか」という建設的な議論へと変わっていきます。ただし、ツールを納入すればそれで解決するわけではありません。関係者の構成や懸念に応じて可視化の切り口や説明の仕方を調整する必要があります。当事業部は全国20を超える飛行場での導入・運用経験を通じて、こうした説明支援のノウハウも蓄積してきました。データの収集から分析、関係者への説明支援まで、合意形成プロセス全体を伴走するパートナーであることーそれが当事業部のソリューションとしての姿です。

おわりに:このプロセスを、あらゆる社会課題へ
本稿で紹介した「データに信頼を → 信頼に価値を → 価値を社会合意へ」という一貫したプロセスは、航空機騒音という特定の分野で培われたものですが、その考え方自体は航空機騒音に閉じたものではありません。例えば、以下のような分野への展開が考えられます。
• 工場・事業所の環境騒音管理:複数のセンサーで敷地境界の騒音を常時監視し、AIで発生源を自動識別。データを基に近隣住民との対話を支援する。当事業部は既にこの分野での取り組みを開始しています(第47号参照)。
• 設備・施設の異常音監視:リアルタイムモニタリングにより機器の故障や製造不良の兆候を音響的に自動検知し、予防保全への転換を支援する。熟練作業員に依存していた異常音の判断を、教師データライブラリとAIで形式知化することで、属人化の解消と効率化を同時に実現する。
• 新たなモビリティへの対応:ドローンや空飛ぶクルマなど、従来とは異なる音響特性を持つ飛行体が社会に普及していく中で、その騒音をどのように評価・監視し、住民との合意形成を図るかは、今後必ず必要になる課題です。
いずれの分野でも、信頼できるデータの取得、そのデータからの意味の抽出、そして関係者が納得できる形での情報提示が求められます。30年以上かけて体系化してきたこのプロセスは、再現性のある解決の枠組みを提供できるものと考えています。
当事業部は今後、航空機騒音で培ったこの枠組みを軸に、より幅広い分野の課題解決に貢献する総合的なデータソリューション部門として、新たな一歩を踏み出します。音と振動に関わるデータのプロフェッショナルとして、そして社会課題解決のパートナーとして、技術を通じてより良い環境の実現に取り組んでまいります。
