音空間事業本部 村林 健、崎山 安洋、堀井 理恵

・・・ プロローグ ・・・

感動とは、なにも優れた芸術、絵画、音楽、演劇、スポーツや、ある崇高な出来事に心打たれた時のみのことを言うのではない。忙しくて昼食をとる時間もろくにない時、冬、それが地方のある駅のホームで7分しか与えられていない時間のなかで食べるそば、立ち食いそばである。「旨い。」小さな感動だが自分の心に確かな感動として記憶に残る。

仮に、同じそばを高級料理店の座敷に座り、ゆっくり流れる時間の中で、漆塗りの椀で食べたらどうであろう、感動などなく、むしろそばのまずさに嫌悪感を抱くであろう。

ものには組み合わせというものがある。今回の感動デザイン研究所内スタジオは、これらの人間の生活の営みの中に未曽有にある組み合わせを物理的に行う事の出来る仮想空間実験室である。

1. イントロダクション

現在、金沢工業大学では、本校とは別の地のソフトリサーチパーク内にある「八束穂キャンパス」への機能集積が進んでいます。すでに高度材料科学研究開発センター、ゲノム生物工学研究所、情報フロンティア研究所、人間情報システム研究所、先端材料創製技術研究所、生活環境研究所、材料システム研究所、メディア情報研究所、情報マネジメント研究所などが立地。そして、今回弊社が手がけたのが同キャンパス内で11番目の研究機関となる「感動デザイン工学研究所」のスタジオで今春4月に開所しました。

映像、音響メーカーが高解像度の動画、臨場感溢れる音響にしのぎを削り、その技術は一定の水準に達成したと云われている現在、触覚や臭覚といった五感の情報を組み合わせる事で全く新しいコンテンツを作り出すこと、それがこのスタジオの主たる目的だそうです。このスタジオの主な設備には、200インチ大画面のサウンドスクリーンをはじめ、画面に反応し体性感覚を表現できる回転モーション椅子(例えばピストルを撃った反動で後ろへ押されるなど)、香りを圧縮空気で放出する装置、被験者に対象物の手触りを感じてもらう触覚ディバイスなど他のスタジオにない設備が多々導入されています。

2. 研究プロジェクトの概要

ここで研究プロジェクトの調書の一部を紹介することにより、大学側研究プロジェクトがこのスタジオを創るに際しての思想と目標とし、研究プロジェクトの概要とします。

写真1:建物外観
写真1:建物外観

『感動の生成に深く関連する人間の感情や思想は、生体内に存在する記憶などの内部情報のみで変化しうるシステムであり、外部情報を基に形成されている感覚や知覚などの認知システムとは本来独立している。それにも関わらず、外部入力による認知は感情・意思による影響を強く受け、感情・意思は外界からの入力によって大きく変容する。二つのシステム間には測定可能な関係が存在するため、感情・意思や記憶などと感覚との関係を明らかにすることで、ある感情・意思をもたらす感覚特性を特定することができる。

よって、所与の感覚特性に対応した物理的属性を特定することで、感動を制御することのできるものづくりが可能となると考えられる。

このように環境と感情・意思の関係を明らかにすることにより、感動創出を行うことのできるシステム開発が可能となる。

本プロジェクトでは、生理学・心理学・計算論・脳科学的などの手法を多角的に用いることによって、感動創出システム構築に必要な人間の感情・意思メカニズムの包括的な理解を目指す』

イメージパース
イメージパース

3. スタジオの設計にあたって

本計画の施主である大学側の担当は、神宮先生と山田先生が勤められました。先生方は、文学博士、芸術工学博士、心理情報学科に属する医学博士の方々であり、いつもの施主との打合せの雰囲気とは少し様子が異なっていました。

また、建物全体の設計は、山岸設計事務所の山岸先生が担当され、弊社はスタジオの設計・施工及び機器の建築的な納まりの取りまとめを任されました。その他にも各分野のエキスパートが集結、プロジェクトメンバーが構成され、本計画は進められました。

さて、前述のような研究を行う為には、さまざまな実験をするための特殊な装置・設備が必要になります。人間の五感を刺激するそれらの装置・設備を建築的に納めていく過程では、その性能を正確に発揮できるような設計をしなければなりません。設置方法や大きさ、運用に有効な配置等を主に検討を進めていきました。また、今回は『THX』基準に準じた音響空間の設計を行うことが必要条件であったため、スピーカの配置や設置角度、残響時間などの諸条件の基準を満たし、かつ、先生方の具体的な要望事項も盛り込みながらスタジオの基本計画案をまとめていきました。

図1:平面図
図1:平面図

図2:断面図
図2:断面図

このスタジオは、高解像度のプロジェクターによる映像、シネマスピーカによる5.1ch再生を基本とし、試写室ベースの平面と断面の形状で計画いたしました。

建物全体のレイアウトからみると、スタジオは、「感動デザイン工学研究所」として3階建ての新築建屋の一番端部の1階に、2層吹き抜けの空間を使って建設されました。大学の構内は、特に大きな外部騒音もない静かな環境であるのと同時に、車の往来のある道路とは反対側にスタジオが配置されているため、どちらかといえば、外部からの騒音からスタジオ内の環境を守るというよりも、スタジオのスピーカから発生する音が、研究所内の他の教室や施設に影響を及ぼさないように、建屋の端部にレイアウトされました。同じ1階フロアの他の教室に対しては直接隣接することはなく、実験機器置場などの空間を通してつながっています。また、2階フロアは、空調機械室を鋏んでいます。3階フロアは天井面を通して直接上階となります。

スタジオの内装計画にあたっての条件は、

  • バーチャルモーション3台を音響的にベストな位置に設置
  • バッフルボードを含んだスクリーンチャンネルスピーカの設置スペースの確保
  • サラウンドスピーカの設置スペースと壁面吸音スペースの確保
  • 空調リターンダクトのルートを壁面内に確保
  • 映写室内の機材配置と作業動線の確保

といった点を中心に計画を行いました。

4. 建築、設備計画 -THX基準を加味して-

1) 映像について

THXに準拠する条件の一つに、スクリーンとその裏に設置するスピーカの相対的な位置関係があります。スクリーン高さがあまり上の位置ですと、見上げるようになり非常に見にくい環境となります。スクリーン、プロジェクター、客席との位置関係では、映像に歪みが出ないように画像補正のない4Kプロジェクター(SONY SRX-R110)を、平面的にはスクリーンセンター、断面的にはスクリーンセンターに対して打込み角度1.4°に設置位置を設定しました。3D用2Kプロジェクター(CHRISTIE CP2000S)は、補正機能の幅が大きいため、スクリーンセンターから角度を持った位置に設定しました。

音響透過型の200inchサウンドスクリーン(Stewart Microperf)の張込みタイプとの条件でしたが、最後列中央部からの視野角度を35°に設定(THX推奨範囲は26°~36°の間)。スクリーンスピーカの音響軸は、スクリーン断面の5/8の位置とし、バッフルボードは、THX推奨仕様に剛性と重量を強化した仕様としました。

スクリーンスピーカは、JBL 4670D (2way)、サブウーファは、JBL 4641 としています。

サラウンドスピーカの配置は、客席部分がカバーされ、5.1chおよび6.1chに対応できる配置と数量にしてあります。基本的には試聴者全員が同じ音環境となるような配置が音響的に望ましい空間といえます。

建築音響面では、空調稼動時の暗騒音は、NC-25以下とし、残響時間は、室容積から導かれる規定値の範囲内(上限値と下限値)に設定しました。以下のグラフが竣工後の測定結果です。

図3: 残響時間 測定結果
図3: 残響時間 測定結果

さらに今回は"回転モーション椅子"という上下左右に移動する座席(下写真)が、部屋の中央に3台並ぶため、後方プロジェクターからの映写を妨げ無いようなスクリーンとプロジェクターの設置高さの検討が必要でした。各床の高さごとに、スピーカの上下左右の指向性角度を考慮し、座席配置も含めて、室内の寸法を考えていきました。

また映写室とスタジオ間には3つの窓(1000W×600H)があります。スタジオ側に低反射ガラスを1枚、7度上向きに傾けて設置しました。映像がガラス面にあたり屈折することにより起こる映り込みを防止するためです。厚みは8mmですが測定時の遮音量としては十分に確保できていました。

その他、壁の上部には、立体映像(3D)用の眼鏡に、赤外線信号を送るためのエミッタが設置されました。

2) 音場(5.1chサラウンド)について

比較的高くとれた天井に比べ、奥行きはあまり確保できず(内寸法は、W=7.8m×D=8.9m×H=4.9m)、平面的にほぼ正方形に近い形であったため、特定のモードがたたないような検討と、残響時間の計算を予め行い、仕上・吸音層内部の音響処理を計画していきました。

サラウンドスピーカは、JBL 8340A (2wayシステム)で、のこぎり型の形状の仕上壁内に設置されています。スピーカ正面の仕上げは取り外し型のジャージクロスパネルとしています。

3) 回転モーション椅子(可動座席)

前述の通り、体性感覚を表現するための設備です。脚部が上下左右さまざまな方向に動き、危険も伴うので被験者はシートベルト着用となります。視覚・聴覚・嗅覚・触覚を同時に体験でき、あらゆる感覚の組合せで実験が行えます。

写真2:回転モーション椅子
写真2:回転モーション椅子 写真2:回転モーション椅子
写真2:回転モーション椅子

図4:回転モーション椅子
図4:回転モーション椅子

可動する椅子の振動を室内に伝播させないために浮床と縁切りした独立の固定床の上に設置しています。

4) 香り発生装置・触覚ディバイス

香り発生空気を圧送するためのコンプレッサーが騒音を生じるため、予め機械本体を弊社(両国本社)に持ち込み、各周波数別の音圧レベルを測定しました。音圧はそれほど高くはありませんでしたが、人が気になりやすい音色であったため、機械本体は各座席の後部に配置し、気密性と防振性を持ち合わせた消音BOXに内蔵する設計としました。

写真3:香り発生装置
写真3:香り発生装置

下の写真のように、各座席の左側より香りを噴射し、右のパイプより瞬時に吸気する機構となっています。これは発生した香りが部屋全体に充満しない為であり、次の被験者、次の実験に配慮したものです。

しかし、当然部屋全体の空調設備もあるため、そのエアーバランスを保つには大変苦労しました。あちら立てればこちら立たずのいたちごっこでした。換気・空調設備/排気口は床下に設置しています。段床下は高さ1m以上のスペースがあるので、ここを配管ルートとして利用しています。

写真4:香り発生装置のパイプと触覚マウス
写真4:香り発生装置のパイプと触覚マウス

触覚ディバイス用の制御パソコンは、香り発生装置と同様消音BOX内に設置し、ファンノイズを軽減しています。肘掛部分にパソコンのマウスのような端末が設置されていますが、被験者はここに指を置いて触覚を刺激するような感覚を体験する仕組みとなっています。

5. 工事に際して

壁の遮音

遮音構造は、床・壁・天井共、自立型の浮き構造の完全浮構造になっています。本体外壁は寒冷地仕様のガルバリウム鋼板に50mmのウレタンが一体になった乾式工法であったため、気密性は申し分ないのですが、その一方遮音性能は通常の工法より劣りました。そのため、外壁に面する部分の浮遮音壁は、21mmの石膏ボード2層張りとし、層の間に6mmの制振マットを入れることにより、外部騒音に対しての遮音向上を図りました。

写真5: 制振マット貼り
写真5: 制振マット貼り

写真6: 全景
写真6: 全景

段床の防振

狭い室面積の中での座席の配置から、床の高さはスクリーン周りの低いところから後部の高いところで120cm段差があり、木質の軸組構造にはこだわりましたが、剛性も要求されました。床面の積載のみでは剛性は保てないため、一般の木軸床組みにある土台を省き、束の切り口(木の年輪の小口)を直接コンクリートに固定して床面を支持し、またコンクリートと上部大引きを長ボルトでお互い緊結することで、より高い剛性を得る方法をとりました。

写真7: 段床下の木軸組
写真7: 段床下の木軸組

壁・天井の仕上げ層

本体構造の床コンクリートスラブと上部スラブとの高さは約9m、天井遮音層のレベルは5.8mであるため、この天井裏には約3mの空間があり、上階(実験室)からの音圧の距離減衰のためと、空調ダクトや他の設備配管のスペースとなっています。この天井は床同様、剛性を保つことから野縁受けは重量鉄骨で、仕上げは壁・天井共 "のこぎり型の形状"に徹し、スクリーンに向く面を吸音面、後方を向く面を反射面としました。これらのこぎり型の壁天井は各々遮音層まで平均で1mほどあり、この空間には全てサウンドトラップを配置しました。

大きなもので幅600mm高さ3,600mmとなりました。

写真8: スタジオ 後景
写真8: スタジオ 後景

また、仕上げ層で問題があったことの一つに、ビリツキ音の発生がありました。遮音層に囲まれた内部に吸音のための開口造作があるということは、軽鉄軸組が現しになるということです。ゴムを挟んだり、貼ったり、硬質接着材や溶接で軽鉄同士を固定したり、スタッドの中にGWを充填したりしてビリつき防止の策を講じたのですが、それでも何箇所かでビリつきが発生してしまいました。その場所を全て特定し、GWをさらにきつく充填するなどの対策を講じるのにかなりの時間が掛かってしまったのですが、何とか全てのビリつきを押さえることができました。

・・・エピローグ・・・

今回、感動デザイン工学研究所工事にあたり、下請業者さんは14社となりました。仕上げの布張りと鋼製建具の2社以外は全て地元石川県や富山県の職人さんの方々で、建築音響に関してはほとんどが未経験者でした。

工期の前半は勉強会、質問攻め、現場での是正、やり替えの日々でしたが、そのなかでも皆、謙虚に或る時は激しくむきになる職人さんもいました。

しかし、このスタジオ以外の諸室は試験・実験室、教室、事務室と一般建築の間仕切り壁、天井の工事であり、スタジオの工法が特殊なだけに、皆、好奇心とやりがいをもって個々の役割に徹してくれた。

本当に職人さん方には感謝の気持ちでいっぱいです。

写真9:スタジオ 前景
写真9:スタジオ 前景