直交座標型から極座標型へ

システム事業部 松尾 浩義

1. はじめに

私達は長年に渡り、「マイクロホントラバース」と呼ばれる音響実験室内の計測作業を自動省力化する位置決めメカを提供させて頂いております。従来の機構は、直方体を成す無響室内空間を有効的に利用すべく、直交座標型の機種にて多くのご要求に対応してきました。それらは、現在においても計測データを乱す反射音が少ないという音響計測の必須要件と、精度、速度、力といった機械性能を両立しており、視覚的にもわかり易くかつ安全な装置であると言えるでしょう。現場にて測定対象物との調和が機能しているプロダクトデザインのひとつであると考えております。

しかしながらお客様からの要求の中には、従来の考え方だけでは満たせないものが出てきていることも事実で、特に上昇下降を行う軸の構造については、従来の方式には改良すべき点があると考えておりました。また音響性能の向上とあわせてコスト面も考慮した全体像のスリム化もご要望頂いておりました。

そこで私達は、皆様から頂いた貴重なご意見をヒントに新機構の開発に着手し、新しい極座標型マイクロホントラバースを世に送り出すことができました。写真1に示すこのシステムは、鹿島建設技術研究所様の無響室に設置されたもので、研究・技術開発活動において幅広い用途にご利用頂くことになりました。

2. 拡散性能計測システム ─鹿島建設技術研究所様でのプロジェクト─

室内音響分野では、境界面の反射特性を表す指標として音響拡散係数(diffusion coefficient)や散乱係数(scattering coefficient)が近年注目されています。残響室における散乱係数の測定方法については、すでにISO 17497-1として国際規格となっていますし、その他のパラメータの計測方法も広く研究されています。

鹿島建設技術研究所様は、以前より建築音響分野において先進的な研究を手がけられており、私達も大変お世話になってきました。昨年、ホールなどの音響空間に利用される壁面等の拡散性能を把握するため、それらを自動計測するインパルス応答測定システムの御引き合いを頂きました。

また、拡散性能だけに留まらず、無響室内での様々な計測にも対応させたいというリクエストもありました。これに対し、私達からはインパルス応答測定と統合した自動計測システムとして、多段伸縮式マイクロホントラバースだけでなく、スピーカと試料の位置決めを加えた多軸制御構想を幾つかご提案させて頂きました。その後打ち合わせを重ね、写真1のような成果物を納入させて頂くプロジェクトへ発展しました。

写真1 無響室に設置された新型マイクロホントラバース
写真1 無響室に設置された新型マイクロホントラバース

写真1をご覧頂ければわかるように、このシステムは3つの移動装置から構成されています。左上方に見えるマイクロホン移動のためのトラバース、右上方に見えるスピーカ移動のためのトラバース、そして床面に設置された試料を回転させるためのターンテーブルです(写真ではターンテーブルに試料は設置されていません)。この3つの移動装置に加えて、PCからこれらの制御とインパルス応答計測を自動で行うソフトウェアで計測システムは構成されています。天井に設置された2式の移動装置が、今回新たに開発した極座標型マイクロホントラバースです。

このシステムでは、建築壁面等に用いる建築材料を床のターンテーブルに設置し、全自動で様々な音の入射条件を作り出せると同時に、反射する音の分布を任意の位置で測定可能です。従来のシステムでは、これだけの位置決め機構を無響室内に設置すると、構造物からの反射音が問題となることが危惧されるのですが、新システムでは無響室内の機構は比較的コンパクトで、反射音が少なく精度の高い実験環境を維持できています。

納入させて頂いたシステムを用いた測定結果について、鹿島建設様と連名にて反射特性の検討結果を日本音響学会2011年春季研究発表会に発表させて頂きました。図1、図2はその論文からの抜粋で、平板とリブ構造上の音の伝搬を、それぞれある時刻で切り出したスナップショットです。平板の反射音はほぼ鏡面反射(完全反射)と考えられ、反射音の伝搬が同心円状を保っているのに対し、リブからの反射音は散乱作用により同心円が崩れているのがわかります。この結果は、納入させて頂いたシステムを使って多点のインパルス応答の分布を自動計測した結果に基づいています。

図1 測定システムの概略
図1 測定システムの概略

図2 平板とリブ構造の反射応答特性のスナップショット
図2 平板とリブ構造の反射応答特性のスナップショット

このような複雑な多点計測を、大きな構造物を無響室内に持ち込むことなく完全に自動で行うことができるのが今回のシステムの最大のメリットです。次節では普段はあまり詳しくご紹介することが少ないマイクロホントラバースの機構の観点から、これまでのシステムの問題点と新システム開発の背景、そして完成した新しいトラバースシステムについてご紹介させて頂きます。

3. 新システム開発の背景

3.1 マイクロホントラバース設置のための初期検討 ─常設?仮設?天井吊?床置?─

無響室にマイクロホントラバースを設置する際、天井面への設置を前提とした常設機種にはメリットが多く存在します。最大のメリットは、床置型に比べ床面を占有しないため、搬出入や実験のセッティング作業に支障が出にくい点でしょう。また、床置に比べ、測定に悪影響を及ぼすトラバース本体からの反射音も小さく抑えられるというメリットもあります。

一方、天井面に取り付ける場合は、建築的な工事が発生することを考慮に入れておかなければなりません。また、既存の無響室に追加設置も可能ですが、新規条件下の建築計画での検討に比べると自由度は大きく低下します。天井にマイクロホントラバースの設置を検討する場合には、音響測定室の計画段階で天井面常設を考慮し、設計に盛り込むことが理想的です。

最初にご紹介した鹿島建設様のプロジェクトでは、すでに無響室を所有されていましたので、トラバースシステム本体を既存の無響室天井の吸音・遮音層を貫通させて設置しました。

しかし、もともとの無響室を当社が施工させて頂いていたため建築的な情報がすべて入手できたことと、天井裏の機器配置のための空間が十分にあったこともあり、幸い大きな問題もなく機器を設置することができました。

3.2 天井面常設における従来型伸縮軸の問題点

まず、天井面常設のマイクロホントラバースで用いられている従来の構造について少しご紹介したいと思います。

写真2 上下軸支柱固定長タイプの天井設置型トラバース(左:2軸) 写真2 上下軸支柱固定長タイプの天井設置型トラバース(右3軸)
写真2 上下軸支柱固定長タイプの天井設置型トラバース(左:2軸、右3軸)

最もオーソドックスな構造は、写真2のような2軸ないし3軸の直交座標型です。特に音響透過損失測定のための材料開口面を測定するための2軸型の専用機種や、先端に回転自由度を追加できる室全体を広くカバーする動作領域を持つ3~5軸型は、現在の天井常設タイプのポピュラーな形です。特に写真2のような固定長の支柱(レール)を使用した上下軸を持つ構造は、コストパフォーマンスの良いシンプルな形状と長い可動範囲のご提案が可能です。

さらなるバリエーションとして、支柱を固定長ではなく、伸縮する柱を構造とするケースも増えつつあります。これは、対象物上面の測定もスムーズに行いたいという要求と、未使用時の収納性・作業性の向上、容易に先端に回転軸を設けて自由度を拡張させるとことができるといったメリットを両立できるデザインとして生まれたものです。

ところが、音響計測で使用する伸縮軸のこれまでの動作原理は、糸による巻き取りと送り出しによる落下を応用したものがほとんどでした。しかし図3のような原理による送り出しによる落下式は、何らかの障害による異変に起因する故障が多く、弛みが原因で制御用のワイヤが絡む危険性もあり、安全の観点からも優れた制御方法とは言えませんでした。そこで考案したのが多段式伸縮ポール構造と新型のケーブル巻き取り機構です。

図3 糸と錘による上昇下降のイメージ
図3 糸と錘による上昇下降のイメージ

3.3 多段式伸縮ポール構造の開発

多段式伸縮ポール構造とは、図4のように断面が円形の複数のパイプが内部の多段スクリュー機構により、同時に伸縮動作するものです。モータは1台のみで動作可能で、伝達構造により各パイプは異なる速度で送り出され、外見上、先端の細いパイプが伸びてきているように見えます。サーボモータを使用しているため伸縮時の位置、速度およびトルクを逐次モニタすることができ、従来型の落下式での問題点であった、障害物衝突などによる制御用のワイヤの緩みや絡みの心配がなくなりました。各パイプの連結力は限りなく「剛」に近い状態で、ほとんど揺れがないのも特徴です。また自身に正転・逆転による直動の推進力があるため、設置方向を選ばず、横・斜め方向または床から上に向けて伸縮させることも可能です。

図4 多段式伸縮ポール機構
図4 多段式伸縮ポール機構 - 推進力により真横に動作も可能

3.4 ケーブル巻き取り機構の重要性

マイクロホントラバースを設計する上で、マイクロホン等の計測系ケーブルや制御軸に使用するケーブルの処理には細心の注意が必要です。特に伸縮軸を持つ場合は、軸の伸縮に合わせてケーブルの送出・収納機構が必須です。この問題に対応するため、多段式伸縮ポールに合わせて動作する専用のケーブル巻き取り機構を開発しました。構造は小型掃除機に見られるコードリール内の巻き取りドラムとばねを応用しています。ただし、太い電源ケーブルを対象とした家電製品の構造そのままでは、細いケーブルにダメージを与える可能性がありますので、巻きつけ回数を少なくしてケーブル収納の多くの部分を直線化する機構を設計しました。具体的には、複数の滑車を組み合わせた装置(複滑車、英語ではblock and tackle)を利用しています。

図5 複滑車とケーブル巻き取り機構 図5 複滑車とケーブル巻き取り機構
図5 複滑車とケーブル巻き取り機構

4. 極座標型天井設置マイクロホントラバースの機構

4.1 直交座標型の改良から見えてきた「極座標型」

多段式伸縮ポール構造とケーブル巻き取り機構を開発し、長年の課題を克服した直交型を完成させた後、新たなアイデアが浮かんで来ました。それはクレーンのような構造ではなく、自身のベースより回転、回転、直動の順に関節を配置した極座標型で、まさに写真1の原型です。

これが実現できれば、測定対象によってはお客様にとって大きなメリットがあるのではないかと考えられました。極座標型は設置面積が小さくて済むため、現場の取り付け工事のコスト低減もできますし、ケーブル処理も簡素化できます。何よりも制御の自由度(軸数)の割にマイクロホン周囲や無響室天井に反射物が少なく、測定精度に悪影響を及ぼす可能性が低いことが魅力です。ただし、実現には複雑になる制御をはじめとする、超えなければならない大きな課題が幾つかありました。

4.2 極座標型トラバースの機構的な特徴

極座標型トラバースは、伸縮軸に加え、付け根部分に旋回軸・スイング軸、先端に回転軸を持つ構造になります。

伸縮軸はもちろん多段式伸縮ポール構造ですが、軸長が長く、ケーブル巻き取り機を加えると相当な重量になりますので、構造と制御にはこの力のモーメントと安全の考慮が必須です。特に旋回軸の軸受けと、スイング軸のギヤの強度は十分に確保しなければなりません。また、人や物が衝突する等、延伸している状態で先端に予想できない応力がかかる可能性がありますので、スイング軸にはトルクリミッタを設けて過大な衝撃に耐える設計としました。またスイング軸はタイミングベルトで角度の制御を行うため、その伸びで生じる位置決め誤差の補正も技術的にクリアしなければならない要件でした。

また、手首にあたる先端回転軸は、マイクロホンを取り付けることを条件とし最大2自由度としました。マイクロホンに近い位置にあるため可能な限り小さくしたいので、人型ロボットの手等に使用されている超小型モータを採用しました。

写真3 左:旋回軸&スイング軸 右:先端回転軸
写真3 左:旋回軸&スイング軸 右:先端回転軸

4.3 設置の効率化

ケーブル巻き取り機構は必須ですが、現場での配線工事は天井常設の大型な装置となるとかなりの労力で、できるだけコンパクトな設計と配線の効率化が求められます。

そこでFA業界で浸透しつつあったイーサネット(LAN)を利用したシステムに着目し、「motionCAT」という新しい制御システムを採用しました。これによりコントローラを天井裏に配置した状態でも、LANケーブルさえ制御室へ配線することができれば、距離が離れていても問題なく多軸制御ができるようになりました。

図6 各軸構成と省力配線による配置
図6 各軸構成と省力配線による配置

4.4 位置決め誤差の補正

今回の極座標型トラバースでは、スイング軸のベルトの伸びと伸縮軸自身のたわみに起因する位置決め誤差を補正する必要があります。様々な要因を検討した結果、下記2点の補正を行うこととしました。

1) ベルトの伸びはセンサを用いて実時間で修正
2) 軸のたわみは実機にて緻密に測定したデータテーブルより近似式を求め、その補正値を考慮して制御

これらの補正の効果は絶大で、機器全体における最大半径4.5m円内のXY平面の位置決め精度は、高さ(Y)±10mm以内、左右(X)±15mm以内を実現できました。これらは同サイズの動作領域を持つ直交クレーン型の同平面における位置決め精度とほとんど変わりません。

5. おわりに

本稿では、鹿島建設技術研究所様に納入させて頂いた測定システムの概略と、その一部として納入させて頂いた新型の極座標型天井設置マイクロホントラバースについてご紹介致しました。納入させて頂いた設備に関しては、おそらく世界的にも他に類を見ないユニークな無響室計測設備を構築できたのではないかと自負しています。貴重なご意見とご協力を頂いた鹿島建設技術研究所の皆様に厚く御礼申し上げます。

しかし、ひとつ創り上げるとまた違うアイデアも出てくるもので、さらに開発を進めればより進化したものができるものと確信しています。その一つに軽量、スリム化を考慮したミドルサイズの伸縮軸機構が完成致しました。当社の音響研究所にご紹介した極座標型トラバースのデモ機を常設しましたので、斬新な動作と高い計測精度を確保できる構造をご覧頂ければ幸いです。

参考文献

1) 鹿島技術研究所ウェブサイト
 http://www.kajima.co.jp/tech/katri/index-j.html

2) ISO 17497-1 : 2004, “Acoustics-Sound-scattering properties of surfaces - Part1 : Measurement of the random-incidence scattering coefficient in a reverberation room”

3) 竹林健一、矢入幹記、古賀貴士、松尾浩義、鈴木佐知子、“入射条件に拠る境界面の反射特性に関する実験的考察”、日本音響学会2011年春季研究発表会講演論文集,pp1323-1324(2011)

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