若林 駿介

音のよしあしを判断する能力は、人間誰しもある程度のものは持っていると言われている。 何か音を聴かせて、よい音だ、快い音だ、悪い音だ、聞くに耐えない音だと言うような判断は、 どんな人でも即座にある程度の断を下せるようだ。

しかし、どういうふうに音が良いとか、細かい音の違いを判断するとなると人によって大きく違ってくる。 ある程度の経験を持った人や、訓練を受けている人、常に音に注意している人の場合の方が当然のことながら、 より的確で細かく正しい判断や評価が下せるものである。

これは、味覚などにも通じるようだ。ある料理を食べて、おいしいとか、おいしくないとかは、 人間誰しも即座にある程度の判断を下せるものだが、どういうふうにおいしいかといった細かい判断や、 その表現になると人によっても違う。やはり、いつも美味しいも のを食べつけている人の方が、 細かく、そして的確に判断し表現できるようである。

さて、この音を聴くという、いわゆる"聴"能力は、音を仕事にするプロの人達、 つまり音楽家を始めとして、放送やレコードの録音ディレクターやミクサー、あるいはホールやスタジオを設計する人達、 さらにステレオ再生装置などを設計・製造する技術者などに とっては欠くことのできないものである。 そして、これらのプロは、なんらかの形で訓練 を受けて、ある程度の能力を身につけ、そして日常のたゆまなき努力によって、 そのすば らしい能力を維持し、錬磨して、その実力を仕事の上で発揮しているのである。

この、いわゆる音の感性ともいうべき聴能の訓練については、 日本では福岡にある九州芸術工科大学の音響設計学科などで「聴能形成」という形でカリキュラムの一つとして取り上げられているが、 この聴能訓練について纏めたCD付きのガイドブックが、このたび音楽之友社から発売された。 "音の感性を育てる"というタイトルの書であるが、「聴能形成の理論と実際」というサブ・タイトルが付けられている。 恐らく、こういった聴能を養うメソードを解き明かした初めての本格的な書であるといってよいであろう。

この「聴能形成」は、永年にわたって教鞭をとっておられた故北村音壱名誉教授によって同大学で組織的に固められたものだが、 本書は北村名誉教授を始めてとして、岩宮真一郎助教授など、そのお弟子さん達の手によってまとめられている。

全六章から成っているが、「聴能形成とは」から始まり、「音ときこえの基礎知識」と続く。 そして音響を学ぶ大学を始めとして、音を取り扱う企業や職場等における聴能トレーニングの実施方法、 そして実際に行ったそれらの結果が詳細に述べられている。 さらに 現職のプロの録音技術者やミュージシャンなどに対して実際に行ったテスト結果のデーターが記述され、 細かく分析されているのも大変興味深いところである。

また、本書には、この聴能形成に使われる音のプログラムのCD盤が細かい解説書付きで添付されているので、 実際に本書に目を通しながら耳で音を聴き、自分の"聴"能をチェックしたり、トレーニングすることもできる。 視覚と聴覚の両面で平行して対応出来るようになってい る点にも注目したい。

音を専門としたり、音に関連のある仕事に従事している人達にとって、すぐに、そして具体的に役立つ書であると同時に、 オーディオ・ファンのように趣味の上で音楽や音を楽しんだり探索される方たちにとっても良き指南書になるのではなかろうか。

【若林 駿介氏】
昭和5年東京生まれ。九州芸術工科大学、東京芸術大学などの講師を歴任。 「サウンド・パル」、レコード芸術」等の録音批評を担当。現在、日本音響家協会 名誉会長。