「音の感性を育てる」を読んで

工事部 高田 雅保

昨年(1996年)8月20日に「音の感性を育てる」 (聴能形成の理論と実際)と題された本が音楽之友社から出版されました。 帯には「あなたの"聴"能力を開発するはじめてのガイドブック」というコピーが示されています。 この本の中では、まず音の物理特性や、聴覚の生理学、聴覚の心理学が示され、 つづいて聴能形成の実際について九州芸術工科大学の例、大阪芸術大学での例、各産業分野での例、 録音技術者へ聴能テストの例、レコーディングスタジオでのアコースティック録音の際の実例などが述べられています。 私も学生時代に聴能形成の授業を受けた一人であり、 上記執筆者の一人でレコーディングスタジオでのアコースティック録音の部分の筆者である石野和男氏とは、 当時同じオーケストラの中で演奏を共にしたこともあります。

私はアマチュアではありますがHornという楽器を長年吹いているので、 タイトルの本を読んだ感想と、その楽器を吹いての経験と"聴"能力なるものの関係についてアマチュア演奏家の立場から、 楽器の特性や実際の曲の例などを引きながらつらつらと書いてみたいと思います。

私が楽器Hornを始めたのは高校の入学と同時でした。 中学生時代からホルンやオーボエの音色が好きで楽器をやるならどちらかにしようと決めていました。 ブラスバンド部に入り、楽器を希望することになり、オーボエかホルンと言ったら、 オーボエは楽器もなく値段も高いと言われそれではホルンをやることにしようということで決まったものです。 楽器を始めたばかりの頃は音を出すことで精いっぱいで、 曲を吹いたりとか音程やリズムを合わせるなどということはとても頭の中にはないものです。 どの楽器でもそうですが中音域というのは比較的簡単に出るようになりますが高い音や低い音はなかなか出ないものです。 さて、いよいよある程度音が出て演奏にも参加することができるとまず、音程という問題が真っ先に出てきます。

私が聴能形成の授業を受けていたことは前にも記しましたが、 もともと才能が無かったのかまじめに授業を受けていなかったのか "聴"能力という点ではいつも悩んでいました。 もっと早くからこういう能力を身につけていれば音程についてこれほど苦労することは無かったろうにと思います。 そういう点からも聴能形成はなるべくは小さい時期から始めた方が良いと思います。 自転車や水泳は一度覚えたらそう簡単には忘れるものではありませんが、つまり身をもって覚えたものは忘れないようです。 聴覚の能力というものもおそらくそのようなものではないかと思います。 楽器を習っている子供さんがおられればなるべく同時に聴能形成の訓練もした方が良いと思います。

1.楽器の音程について

ホルンという楽器はもともとは管を丸めただけの楽器であり、 後で述べますがその管の長さに応じた倍音列 (参考図書参照)の音しか出なかったものです。 但し、閉塞音といってベルの中に手を入れて管の長さや開口端の調整をすることによって音程を調節して音階を作るという演奏方法がありました。 現にそのようにして演奏しているベートーベンのホルンソナタなどのレコードも出ています。 ホルンにはバルブが基本的には3本付いていて、基本の倍音列の音から半音、全音、全音半がそれぞれ下がるようになっています。 自分の楽器を持つと音階の練習を始めます。そうするとまず、正しい音程の音が出ているかどうかを確認しなければなりません。 例えば正しくチューニングされたピアノで一音一音音程を合わせながら各バルブを抜いたり入れたりしながら調節し、 その楽器と自分のくせをつかみます。倍音列が詰まってきている音域では替え指 (一つの音に対してバルブの指使いが幾つか存在するようになるので)も有るので、 そのそれぞれについて低めになるのか高めになるのかなどを自覚しておくわけです。 聴能形成で正しい能力が身についていれば、ある程度音程を調節することが可能であります。それは、 ホルンという楽器は楽器を持ったときに右手をベルの中に入れたりかぶせたりすることで音程の調整が可能だからです。 また、一般的には高い音は音程が下がりぎみになりますし低い音は音程が上がりぎみになりますのでそれを意識しながら演奏することになります。

2.チューニングについて

次にオーケストラ全体のチューニングについて。 演奏を開始する前にオーケストラ全体の音の基準を通常はAの音で440Hzや441Hz、 442Hz等に合わせるわけですが1Hz違うと1秒間に一回のうなりが生じますので基準の音に対して高いか低いかわからない場合は ホルンのベルの中で手のひらを調節してうなりがまったく生じないところを探して高かったのか低かったのかをを判断して チューニング用の管を抜くか入れるかしていたこともあります。 耳の良い人が近くにいればちょっと高いよとか低いよとか言ってくれるのでありがたいのでありますが。 ちなみにNHKの時報は440Hzです。四つ目の音は880Hzです。

3.絶対音感について

私には絶対音感が有りません。私が楽器を吹いていると隣のバイオリン弾きが「そのA、ちょっと低くない。」 などと言ってきますがそういう人は絶対音感があるのです。 つまり一つの音を聞くとその音がピアノのどの鍵盤の音に当たるかが分かるのです。 ホルンではプーっと音を鳴らすと、それはEとか、今の音はCとか聞いただけで分かってしまうのです。 これはすごい能力です。音楽を聞くと、何調で演奏しているかが分かるのです。

4.合奏の中での音程について

4-1 管楽器の宿命

チューニングの時、通常は楽器を暖めて行うわけですが、 演奏の中で休止の時間が長いと楽器が冷えてくることになります。物理的に明らかなことですが、
音速は

C = 331.5 + 0.61t

で示されますから温度が上がれば音速は早くなります。
また、

C = f × λ
(fは周波数、λはその周波数の音の波長)

ですから楽器が暖まって音速が早くなってくるということは、周波数fか波長λが大きくならなければなりません。 人間の唇が振動を起こすわけですから波長λはあまり変化しません。そうすると自ずから周波数fが大きくなってきますので、 つまり楽器が暖まると(この場合演奏することによって演奏者の息が楽器の中の温度を上昇させることになります。) 音程が高くなってきます。したがって長い休みの後の冷えた楽器では相対的に音程が下がっていることになります。 暖まれば楽器が膨張して音程は下がりそうですがそういうことはありません。管楽器の音程はどんどん上がっていきます。 これも演奏中に修正していかなければなりません。聴能形成をもっと早くやっておけば良かったと思う所以です。

4-2 ホルンパート内での音程について

ホルンという楽器は2本一組や2本二組などの偶数で使われることが多いわけですが (ベートーベンの交響曲3番英雄では三本が用いられていますが。)これはホルンの響を考えてのことです。 やはり和音が重要なのです。チューニングのところでも述べましたが周波数が1Hz違えば一秒間に一回の、2Hz違えば一秒間に二回のうなりが生じます。 それは現象としてはウワーン、ウワーンというように音が大きくなったり小さくなったりするということになります。 もっと違うとピラピラピラピラというふうに細かくうなるという現象になります。 したがって二本のホルンで同じメロディーを演奏するような部分ではピタリと音程が一致していないととても聞きづらく、へた、ということになります。

例えばブラームスの交響曲四番の2楽章の頭の部分、 シューベルトの交響曲九番(ハ長調、グレート)の1楽章の頭の部分、 ドボルザークの交響曲9番新世界からの4楽章321小節めのホルンパートなどなど。 ある人の話では、こういう部分は一本で演奏するのが常識だそうですがどうなのでしよう。 私の経験では上のうちドボルザークの新世界からで(この部分は曲の最後の方なので唇がかなり疲労している状態となります。)、 私は2番のホルンを吹いていたのですが、2本で吹き始めたところピロピロピロとうなり始めたので 「あっ、まずい。音程が低い。」と思って、手のひらをベルから少し出したところ余計うなりの数が増えてしまって 「いけね! 高かったのか。」と思い、あわててベルの中に手を突っ込んで修正したということがあります。

4-3 純正調と音程について(ピタゴラス音階と平均率音階)

良く知られていることですが周波数を倍にしていくと、相対的に音程を得ます。 これは管に共鳴する倍音によるものとなりますので、倍音列と呼ばれています。 これらから音程というものがかなり簡単な整数比で表せることが分かります。 この倍音列からできる音階がピタゴラス音階で、純正調と呼ばれているものです。 古典派の曲が属調や下属調に転調しやすいのは、この倍音列の中にすでにBの音やFisの音が含まれているからだと考えられます。 この音階で困るのは曲が転調した時で、転調後も純正調にしなければなりませんが これらの音の中にそのような簡単な整数比になる音は当然含まれていないのであります。 こういう不便さを一挙に解決したのが平均率であります。

ここで純正調の周波数の比と、平均率の周波数の比を比較すると、 最も大きく違う音はミの音ということになります。 したがって例えばドミソという和音を演奏する場合にはミの音を演奏する人は少し平均率よりも 低く演奏すれば純正調の響きが得られることになります。平均率よりも純正調の和音の方が響きは圧倒的にきれいになります。 ベートーベンの交響曲第3番英雄の3楽章のホルンの3重奏が美しく響くか響かないかは このミの音を演奏する人の音程の感覚がどうであるかによるのです。

さて、前にも述べましたがまだバルブが無かった頃のホルン、 つまりナチュラルホルンは倍音しか出ませんでした。 例えばベートーベンの交響曲第5番の第一楽章では提示部に有名なホルンのパッセージが有ります。 ここはEs dur(変ホ長調) でin Esのホルンで演奏するように指示されていますが、 再現部ではファゴットで演奏するように指示されています。 これは再現部がC dur(ハ長調)でありin Esのホルンでは演奏できないためであります。 (ミの音は倍音列にあるため6つめの音からはホルンも吹くようになっています。) C管のホルンに持ち替えて演奏しても良さそうなものでありますがベートーベンはよしとしなかったのでしょう。 現在ではバルブ付きのホルンがありますので、ファゴットに重ねてホルンが演奏することも広く行われています。 ベートーベンが持ち替えをよしとしなかったのに対して、 ワーグナーは例えばローエングリン第三幕への前奏曲の中で数小節毎に使う管の調性を変えている場合が有ります。 これは実際には演奏不可能であり現在ではもちろんあらかじめ移調して(譜面は原譜通りに書かれている。)演奏されています。

以上音程について述べてきましたが、次に簡単に音の強弱についての例と音の長さの例についてふれてみます。

5.音の強弱と音の長さについて

フランスのフランシス・プーランクの作品に金管(トランペット、ホルン、トロンボーン)のための3重奏曲があります。 この中には同じ曲の部分であるのに楽器によって強弱と長さを違えて演奏するように指示されています。 何度か練習すれば(三人で合奏する。)こういうふうに演奏していこうなどの打ち合わせができて、 指示通りの演奏が可能ですが自分の楽譜だけを見ていては決してまともな曲には(作曲者の意図するという意味)ならないと考えられます。 やはり他の人が何をしているのかが分からなくては自分がどのようにして演奏すれば良いかがわからないであろうと考えます。 また、楽譜にfとmfと示されていても音の強弱は相対的なものであり(現代曲では75dBとか80dBで演奏するように)などと指示されたものも有りますが、 絶対音感と同じように絶対音圧レベル感というものがないととても不可能であると考えられます。 また同じように・(スタカート)やー(テヌ―ト)などの表示があっても、どの位音を短く切るのか、 どの位音を十分に保つのかは相対的なもので0.3秒のばすとか、800mm/secのばすとかのようなコンピュータミュージックでもない限り 不可能なことであります。したがって良い演奏というものは十分な打ち合わせと練習の結果得られるものであります。 我々アマチュアにはちょっと難しいですね。

6.まとめ

「音の感性を育てる」を読んで、という題で書き始めたのですが私の趣味の話になってしまい申し訳ありません。 私が言いたかったことは本文の中でも記しましたが、"聴"能力を身につけるための訓練は音楽を学び始めると同時、 できるだけ早い方が良いと考えます。私の経験などをながなが書きましたが、そのようにご理解ください。 音楽は文化であります。文化の理想というものは高く持ちたいし高くなければならないと常々思っています。 したがって我々の演奏は下手でも良いと考えています。

7.参考図書一覧表(版権の都合により楽譜例等は省略します。)

参考図書としては、音楽工学(H.F.オルソン著、平岡正徳訳、誠文堂新光社刊)、 本文中の楽譜についてはおおよそ音楽之友社発行のミニチュアスコアで手に入ります。 プーランクの作品はJ&W Chester Ltd Eagle Court London ECLから出版されています。