私の夢 山本 充弘
「お父さん達はいいな!今まで沢山生きてきたから。僕達は沢山生きられない。」これはかなりショッキングな反応だった。 10数年前のある日のこと、小学2年生だった息子にぽつんと「人類は西暦2000年後の早い時期に危機に陥り、 ほとんどの人が死んでしまうかもしれない。西暦2000年はすぐだよ。」と言ったときのことである。 小児喘息の為、時折発作を起こすことのあった息子は、死という言葉に敏感な子であった。

ローマクラブが報告書「成長の限界」で、1900年から1970年までの成長の傾向を解析し、 世界人口、工業化、環境汚染、食料生産及び資源の使用を今まで通り進めた場合、地球上の成長は限界に達し、 人口と工業力の大部分が突然の制御不可能な現象に陥るであろうと発表したのは、今から20年以上も前のことである。 そして、アメリカ合衆国のカーター大統領の指示のもと、特別の検討グループが編成され、 得られるあらゆる情報をスーパーコンピュータに入れて将来予測を行い「西暦2000年の地球」として報告されたのが1980年。 その結果は、不幸なことにローマクラブの予測を裏付けるものであった。

食糧が豊富に実った時に野ネズミが大発生し、食糧を食い尽くした集団がパニックに陥って 断崖から湖に飛び込んで集団自殺するという話は、地球という限られた空間において、近い将来のある時点に資源を使い果たし、 環境を破壊し、溢れる人口を支えきれなくなって、一挙に発生するであろう人類の危機と重なってイメージ化される。 それは正に人類にとっての悪夢としか言いようがない。

私が大学を卒業した1970年は、その時の国会が後々公害国会と呼ばれた年で、水俣病、イタイイタイ病、 四日市喘息など公害問題が一挙に吹きだしていた時代であった。公害問題をライフワークにしようと考えていた私は、 公害克服のキーポイントは地方自治体にあると考え公務員になった。

人の命と自然の破壊を代償にして高度経済成長という美名のもとに物質文明をこのまま追い求めて行けば、 いずれ日本は滅びるだろうという予感が、先の「成長の限界」のような科学的根拠に基づかずとも、肌で感じられた時代であった。 このような日本の公害の状況は、OECD調査団をして「日本は公害の人体実験場だ!」と唸らせたほどすさまじいものであった。

当時、過酷な環境汚染に苦しんでいた日本では、同時並行して提起されていたはずの地球規模の環境問題は、 新聞紙面を毎日飾る「公害」というニュースの中の一つとして頭上を通り過ぎていってしまった感がある。

地球規模での環境と人間との係わりについて、初めて国際的に提起されたのは、 1972年にストックホルムで開催された「国連人間環境会議」であり、同会議でストックホルム宣言と行動計画が採択され、 これを具体化するために同年国連の中に国連環境計画(UNEP)が結成された。

それから10年後の1982年、国連人間環境会議10周年を記念して開催されたナイロビ会議を終えて来日した UNEP事務局長トルバ氏は、地球環境問題、とりわけ熱帯雨林の破壊と日本の係わりを強調し、 日本の早急な対応を強く求める演説を行った。この訴えは「成長の限界」が予測した世界と私たち日本人の生活が 直接結びついていることを具体的に示すものであった。

高度経済成長の余裕のもとで様々な環境問題の改善を進めてきた日本では、公害問題が一つの大きな山を越え、 その傷口が和らいだ時、実はもっと深いところに鈍痛が走っており、この鈍痛は人類の死にいたる病に関係していたというわけである。

国連事務総長であったウ・タント氏は、1969年に「軍拡競争の抑制、人間環境の改善、人口爆発の回避、 開発努力に必要な力の供与などの世界的な協力が今後10年間のうちに進展しなければ、我々の制御能力を越える事態に至るだろう。」 と述べているが、その10年はとうに過ぎ去っていた。このような時期に、私は書き出しの話を息子にしたのだった。

世紀末は、いつの時代でも大きな事件が発生し、終末の予言と新興宗教の花咲く時期と言われている。 とりわけ20世紀という区切りのいい今世紀末は、冷戦構造は崩壊したものの、依然として人類を何度も皆殺しすることのできる量の核兵器を 人類が持ち合わせている現状と、世界の各地で頻発する紛争を見るとき、終末の予言が実現する下地もまた強いと思われる。 「成長の限界」が示した人類の危機の到来予測は、これらの予言と妙に重なる部分を持っているが、 「予言」が人知を超えた避けうべからざることとして提起されることに対し、「予測」は、 あくまでもそれまでの傾向を踏まえて未来に起こる可能性を計算したものであることに決定的な違いがある。 そのことは、計算に入れた前提条件が異なれば結果もまた自ずから異なることを意味している。 しかし、楽観することはできない。「成長の限界」のレポートによれば、資源の埋蔵量や科学技術の発展速度等を更に大きく見積もったとしても、 人類の危機の到来を少し遅らせることにしかならないと予測されている。危機回避のためには、 人類の価値観の変更という条件の置き換えが必要とされている。

歴史は時として予想を超えてダイナミックに動くものである。科学者の提起する事実としての 知識と現実の実感の間に大きなギャップがあった地球環境問題も、1980年代後半に入って地球温暖化やオゾン層の破壊等による 人類の脅威が身近な問題としてマスコミに取り上げられるようになった。 そして、人間環境会議20周年を記念して1992年リオデジャネイロで開催された今世紀最後の大会議「地球サミット」は、 まだ私たちの記憶に新しい。この会議で合意を得ることのできた「持続可能な開発」の思想は、 遅まきながら人類の破局へ向かった暴走を減速させる重要な認識を提起したといえる。

今後の地球環境問題がどのように変化するかのキーポイントは、 開発途上国がどのように動くかにかかっていると言っても過言ではない。しかし、多くの途上国では、 技術、人材等の不足から十分に対応し難い状況にあり、先進国の支援・協力が不可欠となっている。

【山本 充弘氏】
1945年生まれ。北海道大学工学部衛生工学科卒。 千葉県入庁後、大気汚染、廃棄物等の環境保全業務に従事。現在、(社)海外環境協力センター主任研究員。 なお、本年7月から2年間の予定で、メキシコ合衆国に技術協力専門家として赴任中。