技術部 青木 雅彦
1. はじめに
昨年秋、私達はある市民会館ホールを改修するための調査と設計に携わる機会を得ました。
このホールは客席数約1000席で、1960年代の半ばに竣工してから既に40年近くの歳月を経ていました。 その間いろいろな改修が行われてきたようですが、今回の改修は「音場改修」を主な目的としていました。
そのため私達はまずホールの現況の音場を調査し、その結果をもとにコンピュータシミュレーションを含む検討を行いました。 さらにシミュレーションにより可聴化された改修後の音場を、当社の試聴室で関係者の方々に体験していただくことができました。
そこで現況の音響調査から可聴化シミュレーションまでの概要をご紹介させていただきます。
2. ホールの現況調査
ホールの現況の音場を確認するため、市民会館の休館日に音響測定を実施しました。測定項目は以下のとおりです。
- 舞台上、及び客席の音響特性(残響時間、ST、エコータイムパターン)
- ホール内外の遮音性能
- ホール内の空調騒音レベル
- ダミーヘッドマイク録音
次に測定項目毎の概要を示します。
1. 舞台上、及び客席の音響特性
ホール内の現況の音響特性を把握するため、当社のインパルス応答測定システム(AEIRM、図1)を用いて、残響時間、 ST(support)、エコータイムパターンを分析しました。
具体的には舞台上に12面体スピーカ(写真1)を設置し、AEIRMによりTSP信号(Time Stretched Pulse, 時間伸長パルス)を発生させ、 舞台上・客席の測定点に設置したマイクロホンを通してインパルス応答を測定した後、残響時間等を分析しました。
- 図-1 インパルス応答システム<AEIRM>
- 写真-1 12面体スピーカ
ここでちょっと用語の説明をします。
【インパルス応答】
舞台上で低音域から高音域までの音が含まれたパルスを発生させ、測定点において直接音と天井・壁・床等からの反射音を測定します。
この測定結果には様々な情報が含まれており、そこから残響時間その他の物理指標を分析することができます。
【残響時間】
音の強さが100万分の1、したがって音圧レベルで60dB減衰するまでの時間を残響時間といい、「秒」で示します。
【ST(support)】
STは舞台上の音場を評価する指標の一つとされ、直接音と拡散音(反射音)のエネルギー比をデシベル(dB)で示します。
主にオーケストラを対象としたST1、小編成のアンサンブル・ソロを対象としたST2があります。
p(t):音圧の瞬時値
【エコータイムパターン】
継続時間の短い音をホール内で発生させた時、ある地点において観測される直接音と、 それに続く反射音群を周波数毎に表示した波形をエコータイムパターンと呼びます。
【ダミーヘッドマイク】
人の上半身を真似た人形の両耳にマイクロホンが装着されており(写真2)、一般のステレオ録音と違い、頭部による回折等も含めてステレオでデータを収録できるため、 ヘッドホンを用いることでとてもリアルに音場を再生することができます。また特殊な信号処理を加えることで、スピーカを使った音場再生も可能です。
舞台上、及び客席の音響特性測定結果の一部を以下に示します。
- ■ ホール客席の残響時間
舞台反射板設置時の空席時の残響時間は500Hzで1.08秒でした。ホール関係者の方々より、 改修にあたっては特にコンサート時の音場を良くしたいとのご要望がありましたが、そのためには、 現況の残響時間はやや短めの値となっています。
図-2 客席の残響時間測定結果 - ■ ST
舞台上4点の平均値はST1が-11.2dB、ST2は-10.2dBであり、一般的な範囲内と考えられます。 - ■ エコータイムパターン
500Hzの分析例から、客席前方(図3)と後方(図4)を比較して示します。 -
図-3中央前方の客席のエコータイムパターン
図-4下手後方の客席のエコータイムパターン
2. ホール内外の遮音性能
客席の扉は長年の使用により、戸当たり部分のゴムが劣化していました。また舞台上部にガラリがあり、 外部騒音の透過の問題がありました。そこで対策案を検討するために、現況の遮音性能を測定により確認しました。(表1)
測定方向 | 測定対象 | 500Hzの遮音性能 | 2kHzの遮音性能 |
---|---|---|---|
廊下→ホール | 客席入り口扉 | 26dB | 21dB |
ホワイエ→ホール | 客席入り口扉 | 24dB | 18dB |
ホワイエ→ホール | 客席入り口扉 | 26dB | 21dB |
道具置場→外部 | 窓 | 35dB | 43dB以上 |
舞台上手袖→外部 | 搬入扉 | 35dB | 33dB |
舞台→ガラリ外部 | ガラリ | 19dB ※ | 27dB ※ |
測定結果によれば、扉は特に高音域で遮音性能の低下が確認されました。また外部との遮音については窓、 搬入扉と比べてガラリ部分の性能がかなり低いことが確認できました。
3. ホール内の空調騒音レベル
調査前の関係者の方々とのお打合せにより、空調騒音が大きく、運用上で対応されているとのお話をお聞きしていました。 (公演直前まで空調をフル稼動させ、公演中は空調を一部停止する等)そこで対策案を検討するために、現況の空調騒音を測定により確認しました。(表2)
測定点 | 空調稼動時 | 空調停止時 |
---|---|---|
客席 | NC-45~50 | NC-20~25 |
舞台上 | NC-45 | NC-30 |
多目的ホールの空調騒音の目標値は一般にNC-20程度であることから、現況の空調騒音がかなり大きいことが確認できました。
また、空調停止時の暗騒音は、客席より舞台上の方が大きくなっていますが、 これは屋外の騒音が舞台上部のガラリを通して透過してくるためだと推定されました。
4. ダミーヘッドマイク録音
改修前の音場を改修後と比較するため、舞台上の12面体スピーカから、ホール試験用CDの残響が付加されていない音楽を再生し、 客席に設置したダミーヘッドマイクを通してハードディスクに録音しました。
3. ホール改修の方針
現況調査結果をもとに、ホール関係者の方々とお打合せを重ね、改修の方針を検討しました。その結果、下記の点に留意することを確認しました。
- コンサート時の音場を考えた場合、現況より残響時間を少し長くする方が望ましい。 ただしコンサートとそれ以外の催し物の頻度を考えた場合、現況と比べてあまり極端な音場の変化は望ましくないと思われる。
- 現況では空調設備を稼動した状態でコンサートを催した場合、空調騒音が気になる場合が考えられる。 したがって現況より空調騒音を低減する必要がある。
- コンサート時に客席・舞台の静けさを確保するためにホール内と外部(屋外)の遮音性能を改善する必要がある。
この3点についての検討内容を以下に示します。
- ホールの音場について
今回の改修では椅子席の入れ替えが予定されていました。ホールの残響時間は椅子席の吸音力の影響が大きいため、 新しい椅子の吸音力を考慮した残響時間を予測計算しました。
また現況では舞台上の側方反射板は移動式であり、天井反射板とは一体化せず、大きな隙間が空いていましたが、 コンサート時の音場を考えた場合、舞台上は反射板で囲まれた状態の方が、客席に舞台上の音を響かせる意味から望ましいと考えられます。 そこでコンピュータシミュレーションにより反射板の形状と効果を確認しました。 - 空調騒音について
多目的ホールの室内騒音の許容値は前述のとおり、一般にはNC-20前後ですが、現況は空調設備稼動時でNC-45程度となっています。 したがって低減対策が必要となりますが、対策目標値の設定値によってコストに大きく影響します。
そこで改修後の音場をシミュレーションにより可聴化して評価する時に、空調騒音の大きさについても併せて評価した上で、 対策目標値を設定することになりました。 - 遮音性能について
扉はかなり古くなって傷んでいるため、交換するものとし、新しい扉に必要な遮音性能を設定しました。
また外部から騒音が透過している舞台上部のガラリについては、遮音効果を上げるための消音チャンバーの仕様を検討しました。
4. ホール音場シミュレーション
舞台反射板の形状については、当社の室内音場予測ソフトウエア(RIMAGE)を使ったシミュレーションにより検討しました。 シミュレーションの計算条件と予測モデルのイメージを示します。(図5)
図-5 予測モデルのイメージ
シミュレーションではまず現況のホール形状と内装材の吸音率をソフトウエア上で設定し、 舞台上の音源位置から予測点に対する直接音と反射音群の状況(インパルスレスポンス)を計算しました。 この結果を実測値と比較することでシミュレーション上の設定を微調整し、シミュレーション上の現況モデルを確定しました。
その後、現況モデルに対して、改修案を想定して舞台反射板・客席椅子等の設定を何度か変更し、 改修後のインパルス応答を計算しました。
下記に現況と改修案(最終案)の各シミュレーション値の比較例として、後方下手の客席における500Hzのエコータイムパターンを示します。(図6/図7)
図-6
現況シミュレーションの
エコータイムパターン
図-7
改修シミュレーションの
エコータイムパターン
上記の例に示すとおり、舞台反射板の仕様変更により、主として直接音に続く初期反射音が増えることが予想され、 音場の改善として望ましい傾向であると考えられました。
別途計算した残響時間の予測値を現況の測定値と比較して示します。
予測計算によれば、500Hzの残響時間は現況の約1.1秒から、改修後は1.4秒程度になると予想されますが、 これは多目的ホールとしては一般的な残響時間であると考えらます。(表3/図8)
表-3 残響時間の比較(単位:秒)
125Hz | 250Hz | 500Hz | 1kHz | 2kHz | 4kHz | 8kHz | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
改修後の計算値 | 1.92 | 1.55 | 1.44 | 1.35 | 1.32 | 1.30 | 1.27 |
現況の実測値 | 1.75 | 1.38 | 1.08 | 1.17 | 1.24 | 1.23 | 1.03 |
図-8 残響時間の比較
現況と改修案の仕様の違いで、室内音場に関係する部分は以下のようになります(表4)。
項目 | 現況 | 改修案 |
---|---|---|
舞台反射板 | 天井反射板有り | 形状・仕様変更 |
正面反射板有り | 現状のまま(拡散体追加) | |
側方反射板有り(移動式) | 形状・仕様変更 | |
客席(椅子席) | 1006席 | 743席(新規入替え) |
客席床 | コンクリート | ビニールタイル |
客席通路床 | カラクリート | カーペット |
表-4 ホール音場検討上の変更内容
5. シミュレーション結果の可聴化
室内音場のシミュレーション結果は、当社の可聴化システム(Symphony)により試聴室で実際に音として聴くことができます。
Symphonyは残響が付加されていない試験用CDの音楽にシミュレーション結果を畳み込み、試聴室の天井・壁に設置された12個のスピーカから反射音を再生します。 直接音は別途2個のモニタースピーカから再生することで、まるでホール客席にいるような音場を体験することができます。(写真3)
写真-3 当社試聴室の室内音場可聴化システム(Symphony)
6. 空調騒音等の対策
前述のとおり、多目的ホールの室内騒音許容値は一般にはNC-20前後ですが、現況の実測値ではNC-45~50でした。
そこで騒音対策として消音器の取り付け、ダクトの一部に吸音材内貼り、噴出し口の器具交換等を想定しました。
しかしその後、何度か現況の空調設備を調査したところ、改修後も現在使われているメインの空調機器をそのまま使用する場合、 前記の対策を実施してもNC-25~30程度が対策の限界ではないかと予想されました。
そこで対策後の空調騒音レベルを想定した試聴により、空調騒音の対策目標値を確認することになりました。 具体的には、現況の音響測定時に空調騒音をデジタルテープレコーダに録音していたので、そのデータに対して対策効果を考慮し、 イコライザの処理を加えてNC-25とNC-30のレベルでそれぞれ再生できるように調整しました。
また、その他の対策としては、舞台上部のガラリに対して内側に消音チャンバーの設置と、客席扉の交換を想定しました。
7. 試聴会の実施
室内音場と空調騒音の検討結果についてはホール関係者の方々に当社試聴室へ来ていただき、 試聴会を実施しました。当日のメニューを以下に示します。
1.空調騒音のみの比較試聴(5.1チャンネルでサラウンド再生)
- NC-45の場合(ホール録音データを測定値どおりのレベルで再生)
- NC-30の場合(ホール録音データをフィルターで処理して再生)
- NC-25の場合(ホール録音データをフィルターで処理して再生)
2.音楽+空調騒音の比較試聴(音楽は14チャンネル、空調騒音は5.1チャンネルで再生)
- 音楽はトランペット、サックス、ドラム、男性ボーカル、女性ボーカルの各ソロ、及びストリングスカルテットの演奏を再生
- 可聴化する音場は現況、改修後の各シミュレーション結果の2ケース
- 上記の音楽再生に併せて、空調騒音をNC-45、30、25のレベルで随時切り替え
この可聴化で想定した座席位置は客席前方、後方の二ヶ所としました。
試聴時には試聴者が手元のスイッチで、現況と改修後の音場、前方と後方の客席位置を瞬時に切り替えることができ、 また目の前のモニターには、試聴している音場の種類と位置がイメージ上すぐ確認できるように画像を表示しました。
この試聴会の結果、音場の改修効果は聴感上では僅かであるが、問題ないものと評価されました。 また空調騒音については、現実的な対策目標値としてNC-30以下とすることを確認しました。
7. おわりに
この業務のためにいただいた期間は3ヶ月でしたが、現況の音響調査からシミュレーション結果の試聴会を経て、 最終的には80頁余の設計図書を提出することができました。
検討では技術的に難しい課題もありました。例えば試聴会では、現況と改修後のシミュレーション結果を可聴化して比較評価していただきましたが、 実際にホールで録音した音楽の再生音と、現況シミュレーションで可聴化した音楽の再生音の印象には開きがありました。実際の音が柔らかく暖かい印象であるのに対して、シミュレーションの音はクリアすぎる印象でした。この原因の一つには、シミュレーションにおける10次反射までの計算では、残響音が十分にモデル化できていない問題があると思います。
また残響音だけでなく、直接音についても、実際の音場とシミュレーションでは印象が異なりました。 この件についてもいくつか原因が考えられますが、いずれにしてもまだまだ課題は多いと考えています。
私たちは今後も調査技術や設計、シミュレーション技術の向上に努めたいと考えています。