技術部 滑 裕美

1. 釜石鉱山

私たちが釜石鉱山で初めて音響実験を実施したのは1992年の春でした。 釜石鉱山のある仙人峠(岩手県)では、珍しく春の雪が舞っていたことが思い出されます。 その時の実験については、本誌2号の「地下空間の音響特性調査」(平川)で紹介しましたが、音響特性もさる事ながら、 トロッコでの移動や、地表から何百メートルも下の山の中にいるのだという実感は、そわそわするような、 わくわくするような何とも言い得ない体験でした。しかも白色石灰岩、いわゆる大理石の採掘跡です。 初めて白い洞穴を目の中りにした時の感動は今でも脳裏に焼き付いています。

その後、採掘跡に簡易無響室を設置して岩盤の反射特性を抽出する実験を行いました。 実験結果は、抽出した反射特性を用いた聴感実験の結果とあわせて、音響学会等で発表しています。 実験中はとにかく寒いのには参りましたが、泣きごとを言いながらもその反面、大理石の採掘跡という幻想的な空間は何かしら心地よいものでもありました。

2. イベント実験

ここ数年、ジオフロンティアとして地下空間が注目され始め、地下空間の生活空間としての利用価値を探るために、 様々な場所で様々な試みが行われています。前回の実験もそうしたものの一つですが、今回は、 ここの白い洞窟という印象的な空間ならではというものができないだろうかと、イベントの実験が計画され、 その音響システムを当社が担当することになりました。実験は、7月中旬の4日間にわたり鉱山従業員の家族など200名を越す見学者を迎えて行われました。

釜石鉱山は、「仙人秘水」というミネラルウォータを産出する、水の豊かな鉱山です。 そのイメージを打ち出すべく水の演出を中心に、光と音で7つのシーンを岩盤上に展開させ、さらには生演奏もという盛りだくさんの実験でした。 アミューズメント的なものあり、芸術的なものありといった少々欲張りかなという感もある構成でした。

3. 会場概要

会場は、イラストにも示しましたが、「河童の池」、「光の壁」、「水の演出」、「光の列柱」、 「ホログラム」、「休憩コーナー」、「石のステージ」というシーンで組まれました。

  1. 「河童の池」は、深さ約2メートル、直径約4メートルの池で、 民話の里として知られる遠野の河童をモチーフに漫画家牧野圭一氏が創作された河童の人形が浮き沈みします。 見学者はここで"蛙の合唱"や"河童のささやき"に迎えられます。
  2. 起伏に富んだ岩盤の壁面に光をあて、岩の美しさを演出しようという「光の壁」では、 これから何が起こるのだろうという期待感を喚起させるような音をねらいました。
  3. 噴・流・溜・落という「水の演出」では、岩の間から水が噴き出し、 それが天の川をほうふつさせるような光ファイバーを散りばめた川を流れ、それが溜まった池には滝のように水が落ちてきます。 あくまでも水の音を中心にし、緑の中から"虫の声"がするようにしました。地下にコオロギやスズムシがいるというのも何とも不思議な感じです。
  4. 霧を噴霧させた中に緑色の光線を放ち、その柱が列をなした「光の列柱」では、空間の奥行き感を演出するねらいで、 "流星"や"磁気嵐"のような宇宙的な音を集めました。地下の宇宙といったところです。
  5. 洞穴の展示場としての可能性を探ろうという「ホログラム」では、 ホログラフィー・アーティスト石井勢津子氏の反射型の作品と透過型の作品がプレゼンテーションされました。 壁から反射してくる光が柔らかく、普段美術館等では出ないような味わいがあり、さらに作品と同調するような音で空間を覆ったので、 ほんのり明るく美しい空間になりました。
  6. バーコーナーやテーブルの設置された「休憩コーナー」では、見学者が「仙人秘水」を飲みながら休憩するという所で、 "ピアノの音"と"鳥のさえずり"でゆったりした空間を生み出そうとしました。自然の白い岩の中に、人工的なポップな赤色の椅子が映えていました。
  7. 岩の響きを前面に出そうという「石のステージ」では、今回総合的に情景音楽を創作して頂いた作曲家天山氏の音楽を、 光と同期させて奏でていきました。また、ここではアマチュアやプロの演奏家により、クラシックや吹奏楽、 ラテン音楽といった様々なジャンルの音楽の生演奏も行われました。楽器にとっては酷な環境(温度12℃前後、湿度90%近く)で、 演奏する方々はかなり苦労されていましたが、洞窟という特殊な空間が精神的なものに与える影響は大きいようでした。 演奏を聴く側もそして演奏する側も貴重な体験だったと思います。

4. 音響システム

前項でお話したような演出を実現しようとすると、空間全体の響きも活かせ、 しかも空間的な動きもねらえるシステムを考える必要があります。ということになると、かなりの数のスピーカを扱わざるを得ません。 そこで、コンピュータで複数のスピーカの出力を同時に制御できるシステムを開発しました。

システムは図に示す様に、8チャネルハードディスクレコーダ、DAT、パソコン、8入力24出力MIDIミキサ、 12台のパワーアンプ、スピーカ切り換えボックス、そして35本のスピーカから構成されています。スピーカは、空間を響かせる15本の大型スピーカ、 音の移動や上部からの音に用いる10本の中型スピーカ、岩の陰や緑の中に隠し定位のはっきりさせたい音などに用いる8本の小型スピーカ、 そして2本のスーパーウーハーです。ミキサが一度に制御するのは24チャネルですので、スピーカは切り換えて使用します。
調整時は、ミキサ制御ソフトで、入力1チャネル毎に、スピーカのアサインと各スピーカのゲイン調整を行っていきます。 音に合わせ、アサインしたスピーカの順番で音を動かすことも簡単にできます。8通りの音を24台のスピーカを通して自由自在に鳴らせるので、 同時に8通りの音がそれぞれの動きを持つように組むことも可能です。
本番では、そうした動きなどを含む設定を書き込んだシーケンサソフトが、ハードディスクレコーダの音に合わせて、MIDIミキサの動作を再現していきます。
このようにして、空間的な動きを加えたいシーンでは「音が走る」「音が回る」といったイメージの音響を、 空間的な響きを持たせたいシーンでは「音に取り囲まれた」といったイメージの音響を実現しました。果たして見学者はどういう感想を持ったでしょうか。
ここの壁や天井、床は莫大な質量をもつ岩盤です。こういう空間でしか得られない効果を出してみようというねらいから、 スーパーウーハーを用いて低音を響かせるという試みも行いました。地上の空間では体験することのできない強烈な響きでした。

5. 実験を終えて

5メートルおきに柱が存在するという特殊な形状をもつ空間で、意図した通りに音が動かないこともありましたが、 逆に、音が柱をぬって動くという思わぬ効果もあり、難しいやら面白いやら忙しい日々でした。実際に興味深い体験をしたのは見学者ではなく、 他ならぬ実験者だったのではないだろうかという声さえありました。近い将来、実験ではなくイベントとして企画されるとしたら、 視覚的なものはもとより、音響的にもかなり楽しめるものができるだろうと感じました。

また、調整時は作曲家にも立ち会って頂き、現場のイメージ、現場の雰囲気、あるいは現場の音響特性といったものを音楽にフィードバックさせていきました。 特に音響特性の作曲という逆の段階への働きかけは、地下空間にコンサートホールを作った場合そこで演奏される音楽は果たしてどういうものがよいのか、 という問題を突き詰めていく一歩として、良い試みであったと思います。

今回開発したシステムは、地下空間の中だけに限らず他のイベントやコンサートのPAシステムの一部として、 音環境体験システムなどの実験のツールとして等々、多々用途が考えられます。 近々、当社内でデモンストレーションできる予定ですので、是非一度体験してみて下さい。